ものみの塔が主張する「創造者の約束」にムリがあるワケ

創造者の約束など存在しない

ものみの塔の「真理」変更

昨日の記事で、エホバの証人の1914年の教理がウソだった。ゆえに1919年に選別されたとするエホバの証人の統治体の権威付けには根拠がないと書いた。

1914年の教理が間違っていたと言えるのは、エホバの証人の「目ざめよ!」誌の発行目的の文章から「1914年」の文字が消えたのが理由。1995年の11月を境に消失。都合の悪い1914年の教理にフタがされた。ものみの塔は、誤りを隠そうとすることで、自ら1914年教理が間違っていたことをハッキリさせた。

「目ざめよ!」1995年10月22日号以前の発行目的には

1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという、創造者の約束

となっているが、1995年11月発行号以降は

現在の邪悪で不法な事物の体制に取って代わろうとしている、平和で安全な新しい世についての創造者の約束

と進路変更。真理変更。簡単に変更されるモノはそもそも真理ですらない。

ものみの塔の予言ハズシ
「目ざめよ!」誌1995年10月22日号と11月8日号ものみの塔聖書冊子協会発行

変更の前でも後でも、この発行目的をちょっと読んだだけで、ものみの塔のヤバさが分かるのだが、何でこんなモノに我が家は一家揃って騙されたのだろうか?

創造者は約束などしない

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ダサい予言者「ものみの塔」の予言は当たらない。なぜなら・・・

ダサいエホバの証人の予言が当たるはずがない

ダサいエホバの証人の予言は当たらない

ネットで読める「真理真」氏作成のエホバの証人解約資料。4つめの『神の経路と奴隷級』。JW解約-エホバの証人の真理を検証する

私は生まれながらのエホバの証人2世信者だったのだが、早くにものみの塔が嫌いになった。そのため、真面目にこのカルト宗教に取り組んでいた期間が短い。

エホバの証人の基本教理のハルマゲドンとか宇宙の主権者といった概念は叩きこまれている。しかし、統治体の存在理由や終わりの日の予言の根拠などはあまり頭に入っていない。

年代計算によるこじつけなので、理解したくとも理解できなかったのだろう。私の両親などは、ものみの塔の年代計算に感動して信じ切っていた。その年代計算が理解できないのは、私が子どもで教理を理解していないせいなのだろうと思っていた。

ところが、実はそういうわけではなく、

ものみの塔の教理は、ややこしく分かりにくくして「こじつけ」た点をごまかしている。信者の頭を混乱させて信じ込ませているだけ。教団発行の宗教本にいろいろ書いてあるのだが、行き着くところ、それって「お前ら、ものみの塔の主張だよね」。

「根拠は?」

「聖書に書いてあります」となるのだが、

エホバの証人の使っている新世界訳聖書はエホバの証人が改ざんしたものだし、特殊教理が書いてあるのは、すべてものみの塔の宗教本。私の場合は、そのものみの塔がダサくて何だか嫌いだったので、そりゃ信用ならんとなった。ゆえに教理の細かい点はあまり記憶に残っていない。

エホバの証人は「聖書の中の緋色の野獣が国際連合だ」とか、「北の王がゴルバチョフだ」とか言っていたけど、そんなモノお前らの予想だろ。そもそも

ダサくて格好悪い奴の予想なんか信じられねーと、子どもの私は思っていた。

ものみの塔崩し

ものみの塔協会にとってだけの都合の”良い便り”

地盤の緩いものみの塔は、蹴飛ばせば傾く

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エホバの証人の1914年の教理が間違っている理由

バビロン捕囚607年の嘘

ものみの塔が主張する、バビロン捕囚607年がそもそもの間違い

エホバの証人の教理では、1914年にこの世の「終わりの時」が始まったとされている。1914年にキリストが天で即位し、悪魔サタン一派が地上に追放された。そして、間もなくハルマゲドンというこの世の事物の体制の終わりが到来する、とされている。

ものみの塔の教理では、元々1914年にハルマゲドンが起こることになっていたのだが、当然そんなことは起こらなかった。そこで、ものみの塔は予言解釈を変更。1914年「ハルマゲドン」から「キリスト即位+終わりの時の始まり」へとこじつけ変更。

1914年という年は、エホバの証人にとって重要な年代。1914年に終わりの時が始まり、1919年にエホバの証人が正しいクリスチャンだと神により選別された設定にされているから。

1914年の教理の大筋は以下。

エルサレム崩壊(西暦前六〇七年)⇒

異邦人の時(七つの時)(二五二〇年)⇒

終わりの時(西暦一九一四年)

『ドアの向こうのカルト』より

この本の著者も指摘しているのだが、2520年の計算そのものがアクロバティック。聖書のそこら中から引っ張ってきた飛躍とこじつけ。それでも、聖書を次から次へと開いて説明されると納得してしまう向きもある、と著者は書いている。

しかし、そもそものエルサレム崩壊が西暦前607年ではない。エルサレム崩壊のバビロン捕囚が始まったのが607年だと主張しているのは、エホバの証人だけ。考古学的には西暦前597年とか587年が正。

このため、2520年とかどうでも良くて、出だしの607年が間違っているので、1914年が終わりの日の始まりという、ものみの塔の教理そのものがデタラメ

1914年の嘘と1995年の冗談

バビロン捕囚のwikipedia

wikipediaでバビロン捕囚について調べてみると、面白いことを発見した。以下の記事。

wikipediaのバビロン捕囚

私がここを見た時、バビロン捕囚の始まりは607年と書かれていた。変更の履歴には、

587年の表記をあえて607年に書きなおした履歴があった。エホバの証人の誰かが書きなおしている

ものみの塔の新世界訳聖書と同じ。都合の悪いことは捏造して書き換えてしまう。

このwikipediaのバビロン捕囚の記事は、私がきっちり607年から587年に戻しておいた。

ものみの塔の起死回生の打開策はエルサレム陥落BC607年をBC587年だと認めること