エホバの証人になるという間違った人生の選択
エホバの証人になるというのは、完全に間違った人生の選択。その邪道に人を引きずり込むなどもってのほか。
なぜならば、人は生まれてから死ぬまでの限られた時間を、自分で決めたことのために使わなければならないから。
この単純な自由が叶わない人々が、人類の歴史の中には多く存在した。我々は幸運にも、自分の生き方を自分で選択することが可能な時代に生まれている。
その貴重な権利を放棄してはいけない。ものみの塔の言いなりになるという人生の無駄遣いをしてはいけない。
ものみの塔に献身するというのが、自分で選んだ生き方だという反論があるかも知れない。本人の自由だと。しかし、エホバの証人として生きるということは、他人をその道に導く活動をしなければならない。それがエホバの証人でしょ。
人々を誤った道に引きずり込むということは、どう考えても人の道に外れた行為。
エホバの証人は、誰もが真理を求め、敬虔な宗教心を抱いて王国会館に通い始めた。そこまで高尚でなくとも、何らかの救いや人との健全なつながりを王国会館に求めた。
それがいつの間にかものみの塔のマインドコントロール下に置かれる。そうなると、自分でものごとの良し悪しを考えることが出来ない思考停止状態に陥り、ものみの塔という偶像を崇拝し始める。そして、同じく誤った道に人々を迷い込ませる。
エホバの証人が偽教・カルトであると言えるのはなぜか
“エホバの証人(JW)の犯す、ものみの塔崇拝という罪” の続きを読む