万能の神エホバのせこい限界、14万4000人の創作教理

14万4000人の思想限界

14万4001人目のニューフェイス

エホバの証人には14万4000人の特殊な教理がある。油注がれた人々が天に昇りキリストと共に地上を統治する。その人数が14万4000人。この油注がれた人々は忠実で思慮深い奴隷、天的級などと呼ばれている。
※2023年追記、ここら辺の呼称の設定は2013年7月に変更されている。もともと嘘なのでどうでもいいのだが。

この昇天組以外のエホバの証人は、ハルマゲドンの後に地上の楽園で永遠の命を享受することになっており、天へ昇ることはない。ハルマゲドンとはエホバの証人の唱える終末のこと。

楽園、永遠、昇天、ハルマゲドン。エホバの証人の奇想天外トンデモ教義。

昇天組を14万4000人ちょうどに選別するという行為は、とても神の業ではない。エホバの証人の教理だと14万4000人目と14万4001人目の境界線がキッチリ存在する。神への愛や有能さなど、個々人の美点を測って採点しているのだろうか。そんなバカバカしい。

天に昇るこのクラスの人でも反逆することがあるらしく、造反組の代わりに新しく選別される人も出てくる。この新顔は次席で待っていたことになる。14万4001人目の人材。

人と人を比較して、順位を付けて採点するというのは人間社会の行い。合格人数を決めざるを得ない、入学試験や入社試験でしかありえないことだろう。

※2023年追記。この反逆者の存在がいい加減に辻褄が合わなくなってきている。反逆者多すぎ、というくらいにニューフェイスが現れているから。そのため、14万4000人が、いまだに集まりきっていなかったという設定に教理が変更されたとか、しないとか。

ものみの塔協会、1914年の嘘と1995年の冗談

天には届かない、エホバの証人の祈り

かなり、せこいエホバ

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ものみの塔の統治体は、時代ごとに現れる偽予言者のひとつ

偽予言者、エホバの証人の統治体

エホバの証人の14万4000人の残りの者とは

ものみの塔協会の頂点に君臨するのが、統治体と呼ばれる組織。統治体は数人の白人の老人たちにより構成されている(※)。彼らは神により選別され、死んだ直後に天に昇りキリストの近くで地上を統治することになっている。
(※2023年追記、今では有色人種もいるのかな?アジア人はいないはず)

これは完全な創作、おとぎ話。統治体は作り話を掲げ、無数のエホバの証人の人生を弄んでいる。

ものみの塔の教理では昇天する聖者(こんな呼び方はエホバの証人はしないが)は、総数14万4千人と決められている。彼ら”天的級”だとか、”油注がれた”人々と呼ばれている。

この油注がれた人たちの中で、昇天前の地上での余生をおくっている人々が14万4000人のうちの”残りの者”。統治体の成員はもれなくこの残りの者に該当する。これらの生き残りの人々は、きっちり何人いるか数えられている。

エホバの証人の年に一度最大の式典である”主の記念式”で、残りの者はキリストの血肉の表象物である無酵母パンと混ざり物のないワインを口にする。この飲食者の数が、世界中からものみの塔本部に報告され、集計・発表されている。

キリストの最初の弟子たちである十二使徒以降、現代まで選ばれ続け、ちょうど我々が生きた20世紀に14万4000人目の選別が終わったというのがものみの塔の主張。1935年には最後の選抜が終わっているという設定。

つまりは、ほぼ20世紀中に残りの者は全員寿命を迎えることになる。1935年段階で成人、しかも円熟した年齢に達していないと昇天組に選ばれることはないから。

2008年のものみの塔協会の教義変更とは

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エホバの証人、崩壊が約束された盲信ありき偽りの家族関係

崩壊が約束されたエホバの証人家族

14才、エホバの証人をやめたあと

私はエホバの証人の神権家族で育った。

エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

神権家族というのは、エホバの証人用語で、両親ともにエホバの証人という家庭のこと。当然のように子どももエホバの証人であることを強制される。いわゆる2世信者。

私は14才のときにエホバの証人をやめた。自分の意思で、両親と決別する道を選択。この時点で、私はバプテスマというエホバの証人版の洗礼を受けていなかった。バプテスマは献身とも呼ばれる。「身も心も、何もかもをものみの塔に捧げます」と誓うこと。

もしも、エホバの証人をやめる前にものみの塔に献身していたら、私は教団の戒律に従い排斥処分になっていた。排斥というのは、ものみの塔的重罪者を破門し、信者の間で村八分にすること。たとえ家族でも、排斥者とは最低限の接触しか許されない。

私が17才から18才頃の話。私は、未成年にして喫煙や飲酒も始めていたし、当時、交際していた彼女とも体の関係があった。これらは、ものみの塔的には重罪。献身済の信者は徹底的に裁かれるのだが、私のような非献身者は排斥にはならない。

私は排斥上等だったのだが、私の望む望まないに関わらず、排斥処分を受けることはなかった。この頃の私は、二度とエホバの証人に戻るつもりはなかった。当然、今でも同じ。だから排斥になろうと何だろうと、私にとっては大きな問題ではなかった。

エホバの証人の家族への限定的愛情

両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人、偽りの家族関係

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エホバの証人はものみの塔に仕えるカルトの証人

宗教が人に仕えるべき

ものみの塔に仕えるエホバの証人

エホバの証人(JW)は、ものみの塔協会の教義を第一に考え、最優先事項とする。これがそもそもの間違い。

宗教は癒しや慰めであったり、道筋を示すものであったり、その程度のモノでしかない宗教は人のためにある人が宗教に仕えるのではない。宗教が人に奉仕すべき

宗教を人間より上位に持ってくるとおかしなことになる。日常生活や、人生を投げ打ってまで宗教活動に従事しなければならなくなる。

宗教を生業としている人だけがそうすればいい。それで飯喰っているんだから。代々の神官であるとか、僧侶として出家したとかそういった人々。我々のような宗教的素人が、何らかの宗教や神にのめり込み過ぎるのは良くない。

宗教と日常生活とのバランスを崩し、最大限に宗教への前のめりを要求してくるのがカルトであり、その先には破滅が待っている。精神の荒廃、家族の崩壊、経済的な損失も計り知れない。何ごとにもバランスが重要。

エホバの証人は聖俗のバランスを一切認めない。俗っぽいもの全てを完全悪だとしている。極端なカルト。

エホバの証人は、ハルマゲドンでこの世の全ては無に帰するとマインドコントロールされている。そのため、全財産をものみの塔に捧げることも厭わない。無意味に質素な生活を送り、最後には経済的に破綻。いつまでもハルマゲドンが来ないから。そして悲嘆にくれた家族は崩壊する。

エホバという疫病神がもたらす人生の破滅

世界の破滅を祈るエホバの証人

エホバの証人というカルト宗教

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思考停止のエホバの証人(JW)、自分の頭で考えろ

「今」は二度と来ない

エホバの証人をやめるための勢い

私は生まれながらにエホバの証人の2世信者だった。両親ともに異常に熱心なエホバの証人だった。エホバの証人が言うところの神権家族。

エホバの証人とは通称JW、米国由来の自称キリスト教系の新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

私は小学校高学年の頃から、いつかエホバの証人をやめたいと考え始めた。この頃に、両親の顔色を伺いバプテスマを受けていたら、私の家族関係は今よりも悪い状態になっていたに違いない。

現在の状況でも両親は離婚し一家離散。両親が死ぬまでに顔を合わせることはもう無いだろう。私も、両親それぞれと数年に一度会うか会わないか。

もしも、私が偽りのバプテスマを受けていたら、遅かれ早かれエホバの証人組織から排斥処分になっていた。

バプテスマとは通常のキリスト教でいう洗礼とか浸礼の儀式。バプテスマは、エホバの証人には献身とも呼ばれ、何かもをものみの塔協会に捧げるという誓いの儀式。

このバプテスマを受けると正式なエホバの証人とみなされ、ものみの塔の教理に背いたり、背教じみた言動をとると排斥処分になる。排斥とは、教団組織からの破門処分のようなもの。

エホバの証人は、排斥者とは家族であっても、必要最低限の接触しか認められない。

私は14才のときにエホバの証人をやめた。この頃の私は、サッカーに熱中していて、サッカーをしたいという自分の目的のためなら、家族の崩壊すら厭わなかった。

ある意味怖いもの知らずの状態。しかし、これくらいの勢いがないと幼い頃からのものみの塔による洗脳状態から脱することは難しい。

自分が滅ぼされるはずのハルマゲドン、天上から我々を監視している神エホバはやはり恐ろしい。そして、その神の是認を受けた親は絶対に間違わないとも洗脳されている。

ハルマゲドンとはものみの塔がとなえる終末の日のこと。このハルマゲドンで生き残るのはエホバの証人だけという設定。ハルマゲドン生還のエホバの証人は楽園となった地球で永遠の命を得ることになっている。

また、エホバの証人をやめることは、親を裏切ることと同義であるともエホバの証人の子供たちは考えている。

何らかの勢いをつけないと、エホバの証人の2世信者は脱会することが出来ない。子供の頃から受けたものみの塔による洗脳はそれほど深かった。

両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

エホバの証人よ自分の頭で考えろ

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マインドコントロール両親により、エホバの証人組織への献身から守られる皮肉

エホバの証人の狂信儀式バプテスマ

エホバの証人のバプテスマとは

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人という宗教の2世信者として育てられた。両親は狂信的なエホバの証人で、父は会衆の長老、母は正規開拓者という年間1,000時間を布教活動に捧げる狂信者だった。エホバの証人でいう所の神権家族。

私は小学校高学年の頃から、どのようにして、いつエホバの証人をやめるかということを考えていた。この頃の私の考えは、両親にある程度見透かされていたのかも知れない。

そんな私にバプテスマを受けさせ、正規のエホバの証人にしてしまうことは、私の教団からの排斥リスクを高めることになる。

エホバの証人のバプテスマとは一般的なキリスト教の洗礼・浸礼の儀式のこと。献身とも呼ばれる。バプテスマを受けて教団に献身すると、正式なエホバの証人と認められ、周囲の信者から○○兄弟、○○姉妹と呼ばれる。

バプテスマは、単なるプールに潜らされる儀式で何の意味もない茶番。とはいえ、マインドコントロール信者にとっては一生に一度の晴れ舞台。バプテスマプールの水にはなんの効力もないのだが、信者の精神に与える影響は少なからず存在する。

脱会者の中でも、バプテスマを受けたか受けていないかを「水没」「非水没」と呼んで、区分している。

信者の精神的な影響もさることながら、「水没」か否かは、信者周辺の物理的環境に及ぼす影響が大きい。

それがエホバの証人の排斥制度。

エホバの証人の排斥とは

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14才、エホバの証人2世の悩み、怖いのは排斥じゃない

エホバの証人2世の抱える恐怖

エホバの証人が恐れる排斥処分とは

エホバの証人の信者で、宗教活動への参加が不定期になり、そして全くゼロにという人のことを、”組織を離れた”と、現役信者たちは言う。やめたわけではないし、いつでも門戸は開かれている、むしろ、いつでも戻ってきて欲しいというニュアンスを含んでいる。

しかし、組織から破門状態になる排斥処分は全く別。故意に戒律を破ったり、背教めいたことを口にしたりすると、組織から追い出される排斥処分になる。

組織側の現役エホバの証人は、排斥者と街で偶然会っても会話をしてはいけない。一緒に食事をするなどもってのほか。挨拶ですら禁止。排斥者に不用意に関わると自身まで排斥になりかねない。

教義に反した罪人とされる人に、救いの手を差し伸べない態度はいかにも幼稚。宗教者の風上にもおけない了見の狭さ。この事実は、エホバの証人は宗教人でなく、ただの組織人であることを示している。組織上層部からの命令には何が何でも従う組織崇拝者。

幼い頃から深く洗脳されたエホバの証人2世の子供にとって、排斥処分というのはとても恐ろしく感じられる。

幼い頃からエホバの証人という狭いコミュニティの中で育ち、エホバの証人以外に同じ年頃の友人など存在しない。教団は信者以外の人との交友を避けるよう推奨しているから。

エホバの証人2世は季節毎の行事に参加させて貰えない。そんな変わり者のエホバの証人2世が教団外の友人を作ることは難しい。

組織内の人間関係に依存しきっているのは大人の信者も同じ。教団から追い出され、村八分にされるのは恐怖。

精神的な面だけでなく、経済的にもエホバの証人組織に依存している場合もある。勤め先がエホバの証人経営だったりすると、排斥処分になるのは手痛い。仕事と信条は別、といった融通のきいた考え方ができないのが組織崇拝者のエホバの証人。

排斥というエホバの証人の死刑宣告

死ぬ気になればエホバは怖くない

14才、エホバの証人2世の悩み

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排斥を避けるため、息子をバプテスマから守った私の両親

エホバの証人2世のバプテスマ

エホバの証人2世の子どものバプテスマ

私は家族全員がエホバの証人という家庭で育った。エホバの証人の通称「神権家族」。父は会衆の長老、母は正規開拓者というでエホバの証人的にはサラブレッドとも言える最悪な状況。私は、その最低な家庭で、エホバの証人の2世信者として育った。
※長老とは会衆の責任者、正規開拓者とは年間1000時間(2022年1月現在はコロナ禍で時間制限が撤廃中)を布教活動に費やすヒマ人のこと

エホバの証人の2世信者の中には、小学校高学年ぐらいからバプテスマという洗礼の儀式を受け始める子どもが現れる。ところが、サラブレッドであるはずの私は、中学生になってもなぜかバプテスマの儀式を先延ばしにされていた。

バプテスマは献身の儀式とも言われ、エホバの証人の献身の実情は、神エホバではなく、ものみの塔協会に対して忠誠を誓う儀式。

私はエホバの証人をやめたいと、いつも強く願っていたし、神であろうと組織に対してだろうと、献身したいとは全く思っていなかった。ただ親から求められれば仕方が無いので、偽りの献身をしたはず。

表では組織の戒律に従っているものの、隠れた場所ではものみの塔の戒律を破り、心中ではエホバの証人をやめたいと私は思い続けていた。献身の儀式も私にとっては、ただの儀式でしかなかった。

私のバプテスマが先延ばしにされていたのは、私にそのつもりが全く無かったことが第一要因。しかし、それとともに両親の私に対する愛情でもあったのではないかと、今の私は考えている。

エホバの証人の中ではまともな方だった私の両親

最後の最後で、ものみの塔から私を守った両親

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エホバの証人のバプテスマのさなか、膨らむ妄想と水着の下半身

汚いプールに浸るエホバの証人のバプテスマ

エホバ証人のバプテスマとは

エホバの証人というカルトな世界には、バプテスマという献身の儀式がある。この儀式のポイントは、エホバの証人組織に献身するということ。

建前上は、神エホバに身も心も捧げるということになっているのだが、実際は教団の言うことを妄信的に信じ、命も捧げることも厭わないという覚悟の表明。

エホバの証人には輸血拒否の教理がある。この教理がある以上、エホバの証人は輸血の是非が生存の境界となる場合、組織に殉じて死ぬことを選ぶ。

バプテスマは、年に数回のエホバの証人の大会という大規模な集まりで実施される。その地区で新たに献身する信者が集められ、大会のプログラムの中で献身にまつわる話がなされる。

その後、実際にバプテスマとなる。信者は全員水着に着替え、バプテストの男性にお姫様抱っこをされて、プールの水の中を一瞬潜らされる。髪の毛一本たりとも水の中から出てはいけない。全身を水に潜らせなければ失格という決まり。

心から献身していない人は、何度やっても体の全部を沈めることが出来ないというエホバの証人の都市伝説がある。神や聖霊によって偽善者のバプテスマが妨害されているということなのだが、ただの迷信。エホバの証人の誰かがでっち上げた話だろう。

この大会は、市民ホールや大きな展示場などを借りて行われる。そこにプールを持ち込み、水を張ってこの儀式を行う。全くご苦労なことだが、ホールの運営側にプール持ち込みの許可を得ているのかどうかは不明。

エホバの証人は神の”ご意志”に沿っているという前提ならば、社会的な法規や契約などは簡単に無視する集団。危険なカルト。大きなホールを貸し切るのは簡単ではないので、バプテスマ用の水を張ったプールの使用を断られたとしても、無視して強行するのだろう。

エホバの証人のバプテスマとは

エホバの証人のバプテスマ、膨らむ妄想と水着の下半身

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エホバの証人(JW)夫婦の性行為、口や○○はNG

夫婦の性に口を挟むエホバの証人組織

エホバの証人の性行為に関する戒律

エホバの証人は過度の欲望を追い求めることを禁止されている。性欲についても同様。夫婦の間で行って良いセックスについて規定されているほど。エホバの証人の特殊教理は夫婦関係にも大きな被害を及ぼす。

エホバの証人の教理では、性行為に口や肛門を使うのはNG。不自然で性欲に溺れている状態だからという理由。これは、例え夫婦の合意があっても許されない。

これは私がエホバの証人の子供だった20年も前の話。今では口を使うくらいは解禁されているのかも知れない。どちらでも良いけど。エホバの証人の教理の細則・聖書の解釈は結構ころころと変わる。

エホバの証人の宗教本はニューヨークのブルックリン(※現在、世界本部は移転)で原本が製作され、それが各国で翻訳されて出版される。この頃の日本語訳ではアナルセックスのことを”肛門セックス”と訳されていた。

エホバの証人の子供は、こんな露骨なヘンテコワードを物心がつかない頃から聞かされる。文章が読めるようになれば、声を出してこの変態文書を朗読させられる。たまったもんじゃない。

エホバの証人の集会では、多くの信者たちの前でその「肛門セックス」というワードが声に出して朗読されたり、手を挙げて”注解”(※現在はコメントと呼ばれている)として発言されたりする。

中にはうら若い女性信者も混じっており、どんな表情をしていたのか、今となっては思い出すこともできない。完全に狂気の世界、常軌を逸している。

セックスしたら捨てられるエホバの証人2世

自慰行為の罪悪感と背中合わせの快感に溺れていくエホバの証人2世

エホバの証人夫婦の性行為

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