ものみの塔自身が「BC587年エルサレム陥落」を証明している

無数の商取引関係の粘土板がエルサレム陥落BC587を証明する

無数の商取引関係の粘土板がエルサレム陥落はBC587年と示す

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

2つ目。商取引関係の粘土板。

本日もjwstudy様のこちらの記事を参考にしている。

バビロニア年代記に示されている歴史に空白があることからすると,切れ目のない年代記録は残っていないのかもしれません

おいおい、いつからバビロニア年代記の年代記録に切れ目を作ったんだよ。ナボポラッサルは21年間、続いてネブカドネザルは43年間、その治世のあいだ、バビロニア年代記の出来事の記録に空白はあったとしても、年代の記録に空白はない。

バビロニア年代記は、ものみの塔が難癖をつけている1つ目の根拠。これは昨日までの記事にて。

昨日の記事で、商取引関係の粘土板に各王が継投した年に新旧両王の記録が重複する月があることを書いた。継投月以外にも明らかに間違いと思われるモノが、数千から数万の正しい記録に対して、数枚見つかっている。

ものみの塔は、この矛盾に難癖をつけている。

それらの王たちの間に他の王たちが支配した可能性があります。そうであれば,新バビロニア期には幾年か追加されなければならないことになります。

この可能性はない。

各王様の継投時に新旧両王の重複がある1年があるだけで、王様に空白は無い。他の王が支配した可能性はない。さらに他の王様を追加したら余計に重複して、もっと矛盾が拡大する。

あと、幾年か追加って、ものみの塔のBC607年エルサレム陥落が成り立つには20年分追加が必要なんだよ。

そのでっち上げの20年分は、1枚たりとも商取引関係の粘土板が出土していない。他の王の正しい記録には数千~数万単位で根拠となる商取引関係の粘土板が出ている。

エホバの証人の主張する20年間だけ、ただの一つも粘土板が出ていない。それはその可能性が無いってこと。

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ものみの塔協会の正当性は「完全に覆された」。というか、もとから無いけど

ものみの塔の詭弁

問題の本質から目をそらすために小さな矛盾をつつく詭弁

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつける記事。

一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

2つ目。商取引関係の粘土板。この根拠にどうでも良い矛盾を見つけて、自論を正当化しようとする詭弁。昨日までの記事の続き。

ネブカドネザル2世からその息子アメル・マルドゥク(エビル・メロダクとしても知られる)へと支配が移行した時期に関する以前の結論が「完全に覆された」

「完全に覆された」って煽情的な部分だけを局所引用して、商取引関係の粘土板全体の信頼性に傷がつくように、おバカな読者を誘導している。

落ち着けって。ネブカドネザルからマルドゥクへの支配が移行した「月」に関する結論が覆っただけ。年単位では確定している。たいしたことじゃない。

なぜ覆されたのでしょうか。サックは,それまで幾つもの粘土板に基づいて,ネブカドネザル2世が最後の統治年(第43年)の第6の月にもまだ支配していた,と思っていました。ところが,新たに解読された,次期の王アメル・マルドゥクの即位年のものである数々の粘土板は,その同じ年とされていた年の第4の月と第5の月のものだったのです

矛盾があったことは明らか

その小さな矛盾がどうしたっての?新王の即位が4月だろうが6月だろうがネブカドネザルの引退年は変わらない。バビロンの王様の統治した年代を計上するにあたって何の問題もない。

ネブカドネザル2世は,後継者が統治し始めたとされている時から6か月後の,第10の月にもまだ支配していました

これも年代は変わらない。エルサレム陥落の年代を特定するにあたって、大きな問題ではない。

問題の本質から目をそらすために、小さな矛盾をさも大きなモノのように語る詭弁。

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ものみの塔がエホバの証人を愚弄するバビロニア年代記の図

信者を愚弄するものみの塔

非論理的な、ものみの塔の「論理的に言って」

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつける記事。

一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

まずは1つ目、バビロニア年代記。昨日の記事の続き。

文書そのものは何を示しているか。バビロニア年代記に記録されている歴史には幾つもの空白があります。( 下の囲みをご覧ください。)ですから,論理的に言って,そのような不完全な記録に基づく推論はどれほど信頼できるのか,という疑問が生じます

「ですから,論理的に言って」が、全く論理的でない。

不完全な記録から推論することの信頼性は、何を推論するかによる。

空白期間の出来事を推論しようとするなら、論理的に言っておバカだけど、年代を推測するのなら、充分信頼性がある。バビロニア年代記は出来事に空白はあっても、空白な年代があるわけではないから。

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バビロニア年代記に難癖をつけるものみの塔、BC607年を陥落させる。

バビロニア年代記に言いがかりをつけるものみの塔

完全な記録ってなに?

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるための記事。

一般的に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

まずは1つ目、バビロニア年代記。

それは何か。バビロニア年代記とは,バビロニアの歴史における主要な出来事を記録した一連の粘土板のことです

おバカな盲信者たち。これよく覚えといてね。バビロニア年代記には、「バビロニアの歴史における主要な出来事」が記録されているんだよ。

専門家は何と言っているか。楔形文字文書研究の権威者の一人であるR・H・サックによると,この年代記は重要な出来事の不完全な記録でしかありません

権威者サック氏の発言の主旨は不明。ものみの塔は、当人の意見とは真逆に読み取れるように切り取ってくることが多い。お家芸の恣意的引用。

ものみの塔のお家芸、真逆の意味にしてしまう恣意的引用

重要な出来事の不完全な記録でしかない?

はい。覚えてる?おバカな盲信者諸君。バビロニア年代記は「主要な出来事」の記録。そりゃ重要な出来事の不完全な記録になるだろ。

というか、

完全な記録ってなんなの?1分1秒もれなく記録されたモノ?重要な出来事が記録されてりゃ充分なんだよ。バビロニア年代記には、主要な出来事が無かった年の記録は無い。無いけれどれも、その年は紛れもない1年で、0年でも2年でもない。重要な出来事がなかった1年。

ものみの塔のすり替えにより、人生を損なう盲信者

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BC607年、信者を騙し搾取する偽予言者ものみの塔の悪徳な仕組み

ものみの塔の悪徳記事

偽予言者ものみの塔の悪徳記事

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

エホバの証人だけが主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるための記事。

記事中には触れられていないが、エホバの証人的にはエルサレム陥落をBC607年にこじつけないと、現代がエホバの証人が大騒ぎしている終わりの時代ではないことになってしまう(この空騒ぎも開始以来既に150年経っているのだが)。

また、BC607年は、エホバの証人が正当なクリスチャンだと選別された設定の年代計算にも影響している。エルサレム陥落がBC607年でないと、エホバの証人がニセモノである、と真実が明らかになってしまう。

そのために、ものみの塔は、一般的には確定しているBC587年エルサレム陥落に必死に難癖をつけている。

記事の構成としては、一般的に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける次の3つの根拠に難癖をつけたり、逆にBC607年を裏付けている、とでっち上げたり。

  1. バビロニア年代記
  2. 商取引関係の粘土板
  3. 天文学関係の粘土板

その上で、聖書を引っ張ってきて、聖書の記述までBC607年に寄せるようにこじつける。

信者を騙し搾取するための、偽予言者ものみの塔の悪徳記事。

エホバの証人の盲信の仕組み

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ものみの塔の歴史に対する冒涜。バビロンとアッシリアの見分けもつかないの?

ものみの塔の歴史に対する冒涜

マルドゥック・・・

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』。世間一般のエルサレム陥落BC587年の考古学的な根拠となるプトレマイオスの王名表に難癖をつけている。

「プトレマイオスの王名表と古代の粘土板とを比較対照して分かる事柄」という図表が掲載されている。プトレマイオスの王名表は王様が3人欠番になっているという難癖。

昨日の記事の続きで3人目、ラバシ・マルドゥク。

ちらみに、全く関係ない話なんだけど、この王様のマルドゥクというのは、エヴァンゲリオンに出てくるマルドゥック機関と同じ。バビロニアの神さまのことを指す。

Wikipediaによると

ラバシ・マルドゥクの治世は非常に短く、1~3か月しか続かなかったと思われる

この王様は、ものみの塔に担がれただけ。年代計算に何の影響も及ぼさない。プトレマイオスの王名表で欠番になっていても何の問題もない。

ものみの塔よ、BC607年エルサレム陥落は論外。

ものみの塔の歴史に対する冒涜

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バビロンの王名表にアッシリア王の名がないと難癖をつけるものみの塔

バビロンの王名表にアッシリア王の名前がないという難癖をつけるものみの塔

欠番の3人の王様

昨日の記事の続き。エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

エホバの証人が根拠にするものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』。世間一般で言われているBC587年エルサレム陥落の考古学的な根拠となるプトレマイオスの王名表に難癖をつけている。

「プトレマイオスの王名表と古代の粘土板とを比較対照して分かる事柄」という図表が掲載されている。プトレマイオスの王名表は王様が3人欠番になっているという難癖。

Wikipediaで、欠番の3人の王様を調べてみる。

  1. シン・シュム・リシル
  2. シン・シャラ・イシュクン
  3. ラバシ・マルドゥク

この3人。

他説は科学的論理的に攻め、自説は盲信

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BC607年エルサレム陥落の嘘、ものみの塔ってえげつない騙し方するよね。

ものみの塔の記事内の爆弾

ものみの塔のえげつない騙し方

昨日の記事の続き。エホバの証人の論理的アキレス腱、ものみの塔が主張するエルサレム陥落BC607年を崩す。

エホバの証人が根拠にするものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』の後半部分。考古学的な根拠となるプトレマイオスの王名表に、ものみの塔が難癖をつけている。

本日もjwstudy様のこの記事を参考にしている。

プトレマイオスは,バビロニアの支配者であったカンダラヌとナボニドスとの間の王を4人しか挙げていません。しかし,やはり楔形文字の記録であるウルクの王名表は,両者の間に王が7人いたことを明らかにしています。それら王たちの治世は短くて取るに足りないものだったのでしょうか。商取引に使われた,楔形文字の粘土板によれば,その一人は7年間支配しました

こう書かれると、ものみの塔がウソつきだと知らない人は騙されかねない。エホバの証人のような塔信奉者だと、そのまま鵜呑みしてしまう。

それら王たちの治世は短くて取るに足りないものだったのでしょうか

そうだよ。だから、プトレマイオスは省いたんだよ。

商取引に使われた,楔形文字の粘土板によれば,その一人は7年間支配しました

はい。アッシリアをね。バビロニアを7年間支配したわけじゃねぇっす。

プトレマイオスの王名表は,一般には正確なものとみなされていますが,幾人かの王が省かれていることからして,実際に年代を割り出すための確かな根拠にすることはできません

できるだろ。省かれている王の治世は短く、アッシリアの王まで混じっているから。

ホント、ものみの塔ってえげつない騙し方するよね。

塔記事の爆弾

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ものみの塔よ、BC607年エルサレム陥落は論外。

BC607年エルサレム陥落は論外

恥知らずなものみの塔

昨日の記事の続き。エホバの証人の論理的アキレス腱、ものみの塔だけがエルサレム陥落をBC607年にしたい件。

エホバの証人が根拠にするものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』の後半部分。考古学的な根拠とされているプトレマイオスの王名表に、ものみの塔が難癖をつけている。

今日もマニアックすぎて全然分からないので、jwstudy様のこの記事を参考にしている。

本日もものみの塔の恣意的引用。これはエホバの証人のお家芸なので、そこら中でやっている。真逆の意になるよう、何かから部分的に引用してきて、自説を裏付ける。

基本、ものみの塔は間違ったことしか言っていない。そのおバカな話を裏付けるのは大変なのだが、ものみの塔のお家芸、恣意的引用を使えば簡単。反対の主張であっても、ひっくり返して自説の補強に使えるから。

ダーウィンの「種の起源」の結論部分から引っ張ってきて、おバカな創造論を裏付けようとする暴挙まで。暴挙というか、ダーウィンに対する冒涜。甚だしい恥知らず。

ダーウィンの『種の起源』に対する、エホバの証人の虚偽

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ものみの塔のお家芸、真逆の意味にしてしまう恣意的引用

真逆の意味にしてくるものみの塔の恣意的引用

ものみの塔のお家芸、恣意的引用の気配

昨日の記事の続き。エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。

エホバの証人が根拠にするものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』の後半部分。ものみの塔が、考古学的な根拠とされているプトレマイオスの王名表に難癖をつけている。

マニアックすぎて全然分からないので、今日もjwstudy様のこの記事を参考にしている。

以下、ものみの塔の言い分。

大英博物館のクリストファー・ウォーカーの述べているとおり,プトレマイオスの王名表は「天文学者たちに一貫した年代を提供するための人為的な工夫」であって,「歴史家たちに王たちの即位と死に関する正確な記録を提供するためのものではなかった」
「ペルシャ時代のメソポタミアとイラン」(英語),17-18ページ

大英博物館の何とかウォーカーさんの本から引用して、プトレマイオスの王名表に難癖をつけている。

ものみの塔が引用している時点で、例のものみの塔のお家芸、恣意的引用が透けて見える。

ナショナルジオグラフィック誌から曲解した引用をしているエホバの証人

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