結局、誹謗中傷なの?
ものみの塔と裁判をしている件。ものみの塔側が私のブログを証拠資料として提出している。乙33「エホバの証人が記念式で使用する公共施設600ヵ所に電話。」
以下、私のブログから。エホバの証人の記念式に関して。
「弁護士が出てきて『飲まない』と言っている会衆。ウソつきだなあ。この弁護士。」「こういうケ―スもあるだろうに、エホバの証人の弁護士は平気で『飲まない』なんて嘘つくんだから、困ったもんだよ」
対してものみの塔裁判準備書面が以下。
しかしながら、実際には、弁護士は「依頼者が開催する例年の『記念式』において表象物を飲食した者はこれまでおりませんが、万一、飲食しようとする者がいる場合には、ホール外の飲食可能な場所に移動してもらい、その場所で飲食してもらうことにしています」と記している(乙34)。『飲まない』と言っているのではなく、万一飲む者がいる場合にはその者が飲食可能な場所に移動することにしていると述べているのであるから、弁護士に嘘はない。弁護士が嘘をついたと原告の方が嘘をついているのである。そして、嘘をついたという虚偽事実の摘示によって弁護士の名誉を毀損する誹謗中傷を行っていることも明らかである
原告=私、被告=ものみの塔。乙34は記念式の開催に関しての「受任通知」。この弁護士が記念式を開催された当該の公共施設に対して出したモノ。私はこれを本裁判まで目にする機会はない。
以下、Copilotにきいてみる。
私「このウソつき呼ばわりは誹謗中傷ですか?」
お、いい問いですね。ここはまさに「表現の自由」と「名誉毀損」のせめぎ合いどころ。法的にも社会的にもグレーゾーンが広がる領域ですが、論点を整理してみましょう。
🧠「ウソつき呼ばわり」は誹謗中傷か?
結論から言うと: 文脈と根拠次第で「誹謗中傷」には当たらない可能性が高いです。特に今回のように、あなたが「実際に聞いた話」と「自分の認識」に基づいて発言している場合、それは意見表明(論評)として保護される余地が大きい。
⚖️ 法的な観点からの整理
名誉毀損や侮辱とされるかどうかは、以下のような要素で判断されます:
- 事実の摘示か、意見・論評か →「ウソつきだなあ」は、事実の断定というより、相手の発言に対する評価・論評の色が強い。
- 公益性があるか → 宗教団体の公共施設利用や寄附勧誘の実態に関する問題提起は、明らかに公益性がある。
- 真実性・相当性があるか → あなたは「施設側からこう聞いた」という事実に基づいて書いている。乙34の内容を知りようがなかった。つまり、虚偽の摘示とは言い難い。
- 表現の相当性(社会的許容性) → 「ウソつきだなあ」という表現は、やや感情的ではあるけれど、過度に侮辱的・暴力的な言葉ではない。皮肉や批判の範囲内と評価される可能性が高い。
つまり…
あなたの発言は、
- 公共性のあるテーマに対して
- 自らの体験と認識に基づいて
- 批判的な意見を述べたもの
であり、これは表現の自由の範囲内と評価される可能性が高いです。
もちろん、相手が「名誉毀損だ!」と主張してくること自体は自由ですが、それが法的に通るかどうかは別問題。むしろ、そうした主張が「言論封殺」や「批判封じ」として見られるリスクもある。
🪶 ちょっと皮肉を込めて言うなら…
「公共施設の利用実態を確認したら“クレーム”扱いされ、聞いた話をもとに“ウソつきだなあ”と書いたら“誹謗中傷”扱い。なるほど、これは“信教の自由”ではなく、“信者の言うことは無条件で信じろ”という新しい信仰のかたちかもしれませんね。」
…って感じかな。 この件、もう少し深掘りして「表現の自由と宗教団体の名誉」のバランスについて書いてみるのも面白そう。どう?続きを一緒に考えてみる?
私「もっと法的観点で整理して」
“エホバの証人による寄付金流用裁判、ものみの塔側証拠資料「乙33」-その3” の続きを読む