エホバの証人は背教者への挨拶禁止、忌避制度継続。

人権侵害・児童虐待を自ら認めた、エホバの証人の統治体

エホバの証人の週日の集会(2024/3/18-3/24)。昨日の記事の続き。信者が教祖集団統治体動画を視聴する場。

教団からの排斥者が集会に来た場合について。

これまでは、会衆から除かれたその人にあいさつすることはありませんでした

挨拶しなかったんだ。そう決まっていたんだね。親子でも、排斥者が子どもでも挨拶禁止だったんだよね。つまり、甚だしい人権侵害・児童虐待を、エホバの証人組織が指示していたということ。

今回この基準を微妙にほんのちょっと緩和したわけだけど、かつてこういった排斥者をシカトするよう指示した罪と、深く傷つけたことの謝罪やケアは当然のようにない。

一部の排斥者への挨拶、やっと解禁。

簡単なあいさつをしたり、歓迎したりするかどうかは、伝道者それぞれが聖書の教えによって整えられた良心に沿って決定できると判断しました

出た。恒例の統治体独自の判断。

もちろん長く会話したり交友を持ったりすることはしません

ダメじゃん。

エホバの証人は、かつての仲間の信者を宗教上の理由で忌避している。挨拶解禁くらいで改善したなんて、言いなさんなよ。

しかも、これはすべての排斥者ではない。ほんの一部の排斥者だけ挨拶解禁。

キリストを踏み越える、エホバの証人の統治体

「キリストの教えに従わない人があなたたちの所に来たら、家に迎え入れてはなりませんし、あいさつの言葉を掛けてもなりません」
ヨハネ第二10

統治体はこの聖句の文脈を調べてよく考えました。そして使徒ヨハネがここで言っているのは、背教者や悪いことを奨励する人のことだと結論しました

統治体が調べてよく考えて結論を出せるというのが思い上がり。そうやって数多の年代解釈を150年間間違い続けている。それが偽予言者。

ヨハネ第二9には以下のようにある

「キリストの教えを踏み越え」

というか、これこそ統治体なわけで。昨日の記事で触れたとおり、排斥制度を設けたり、「接するな」と聖書に書いてあるのに集会に招待するのはOKと、明らかにキリストを踏み越えている。

背教したり、排斥という悪いことを奨励するのが、統治体そのもの。キリストや聖書を飛び越えてルールを作ろうとする統治体が、最も基本的な聖書やキリストルールから逸脱している。

人権侵害、忌避制度継続のエホバの証人

もし排斥された人が背教していたり、悪いことを奨励していたりするなら

クリスチャンは、そういう人にあいさつすることも会衆の集会に来るよう勧めることもしません

ここにエホバの証人の人権侵害が集約されている。

ここで言っているクリスチャンというのはエホバの証人のこと。自称クリスチャン。悪いことというのは、エホバの証人的悪事も含まれる。輸血だったり、エホバの証人的不道徳だったり。些細なこと。

まとめると、教団からの排斥者が

  • 背教しているだけで、エホバの証人は挨拶禁止
  • 教団基準に従わない者には、エホバの証人は挨拶禁止

結局、エホバの証人は教団基準に従わない者や教理に背く者は忌避し続ける。家族であっても。これは子どもにもあてはまる。今回の基準の緩和で、決して児童虐待や人権侵害が回避されたわけではない。


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