宗教2世、キモチワルイ過去とキモチワルイ自分からの脱出

エホバの証人は、キモチワルイ?

『みんなの宗教2世問題』1章『当事者たちのさまざまな声』より。マイナー新宗教2世の体験談。昨日の記事の続き。

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マイナー新宗教2世の体験談なのだが、すべての宗教2世に共通する示唆に富んでいる。

成長し、友人ができ、「よそ」の世界を知る年頃になれば、いやでも実家の異常性に気がつく。しかし、「うち」が異常であればあるほど、若き2世は、「よそ」との違いに羞恥心を抱く。家の宗教のことを誰かに話したらきっと「キモチワルイ」と言われて、嫌われてしまう。

ゆえに「助けて」と、言えない。

私は、元エホバの証人2世だからハッキリ言うが、「そう、エホバの証人はキモチワルイんだよ」。

輸血拒否して死んだり、世界の終わりを待ち望んでいる。しかも、その世界の終わりでは信者でない人間が全員殺戮されることになっている。そんな奇想天外、悪魔じみたことを信じている奴が、気持ちのいいわけがない。100%キモチワルイ。

私がエホバの証人2世だった頃、自分自身のキモチ悪さに気づいていた。感覚的に。周りの反応から知っていった、というのもある。

自分がキモチワルイ。子どもにとって、それは圧倒的に劣悪な環境。そして、大人になった今でも変わらない。私のエホバの証人という生い立ちは、圧倒的にキモチワルイ。

私は、エホバの証人に人生を汚された。その怒りと恨みが、今の私の活動の源泉になっている。

「よそ」に出ていくこと

新宗教から脱出できたわたしには、恵まれた条件があった。自分の「神」を手放せたこと。親を嫌い、距離を取ること。わたしにとって、これらは大事な、平穏への入り口だった

著者は、平穏への入り口が親を嫌うことだった、と書いている。私も、エホバの証人だったキモチワルイ自分から脱出することができたのは、親を捨てる覚悟を決めたからだった。こんな苛酷で異常な状況を、元宗教2世はサバイバルしてきた。

著者は自身の体験として、学問が自由を与えてくれたとも書いている。「よそ」で学ぶこと、「よそ」の基準で考えてみること、「よそ」に触れることが、宗教の洗脳から自由になるきっかけになる。

宗教の「うち」で純粋培養されていると、自分の思考回路の異常さにはなかなか気づけない。

「よそ」に出て行けば、最低最悪なキモチワルイ状態から脱することができる。そして、私は「よそ」に出て行こうとしている人ならば、今は「うち」にいる人でも、決してキモチワルイとは思わない。

この体験談の著者は、こんな暖かなメッセージを送っている。

どんなに時間をかけてでも、逃げる備えをしてほしい。「逃げることなど無理だ」と、諦めないでほしい。実家を出て、家族や信者以外の人と話をして、友だちを作ってほしい。友だちがいないから相談ができない、ということはない。相談をすることから友だちになることだってあるし、カウンセリングでも、弁護士でも、NPOでもいい。もがいてもがいて、いずれ誰かに「あの時つらかった」と言えることを目指して、生きてほしい

宗教からも、キモチワルイ自分からも必ず逃げられる。そして、過去のこととして、振り返ることのできる日が必ずくる。

私もそうだった。人生そのものを諦めたこともあったけれど、もがくように生きてきて、何とかなった。エホバの証人だったことは過去のことで、現在の私とは関係ないとまで思えるようになった。

少しずつで良いから、「よそ」へ向けて前進する。少しずつを続ければ、いつかそれはたくさんになる。たくさんになったとき、その良いモノは良い方向へ加速する。坂道を転がる雪ダルマと同じ。そうして「よそ」に出れば、キモチワルイ自分は過去のモノになる。

著者は、最後にこう結んでいる。

祈らねば断られる「天国」など、こちらから願い下げ

私も、エホバの証人の「新しい世界」こと楽園も、こちらから願い下げ。だってキモチワルイんだもん。


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