エホバの証人の見解と同性愛:我慢させるだけの教義

我慢させるだけさせて、何もくれないエホバ

エホバの証人と同性愛について、昨日までの記事で1970年から21世紀に至るまで、エホバの証人組織の見解の変遷について振り返った。

現在の見解は、1995年に転換して以来、変わっていないと思われるのだが、今少し確認してみる。

聖書Q&A、『聖書は同性愛について何と述べていますか』より引用。これは記事の更新年月が不明なのだが、最新解釈ということでいいかと思われる。ここでは、下記のように指導されている。

異性に引かれる大勢の人も,聖書の規準に従いたいと願いつつ,同じような葛藤を経験しています。例えば,結婚の見込みがほとんどない独身者や,性的能力を失った人の配偶者は,様々な誘惑に直面しても性的な衝動を抑えるように努めています

とりあえず、他の状況に置かれた人と一緒くたにして、同性愛者も性的衝動を抑えろという乱暴論。

エホバの証人の教理の邪悪なところはここ。

我慢させるだけさせて、何もくれない。

結婚の見込みがほとんどない独身者、見込みがあるかないかなんてのは本来誰にも分らないし、これもすげー偏見よね。

話が逸れたが、結婚の見込みがほとんどない独身者のエホバの証人は、教団の指導のまま、性的衝動を抑えて寿命を終えることになる。当然、ハルマゲドンとか復活とか嘘なので、それで人生終わり。性的衝動を抑えたまま人生終了。

性的快楽を封じ込められて、たった一度の人生に幕を下ろすことになる。

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同性愛者に対して、偏見に満ちている聖書とエホバの証人

「目ざめよ!」2012年1月号『同性愛を正しいとみなすことはできますか』より引用。

この記事では、聖句の引用があり「恥ずべき性欲」と書かれている。個人の指向を「恥ずべき」と呼ぶことが偏見そのもの。そもそも聖書が偏見に満ちている。

聖書の中で同性愛行為は,反逆したみ使い(天使)たちが行なったことと同等に扱われています。悪霊として知られるようになったそれらのみ使いは,ノアの時代の大洪水の前に人間の女性と性関係を持ちました。(創世記 6:4; 19:4,5。ユダ 6,7)神はどちらの行為も不自然なものと見ておられます。

同性愛行為を行う者は、悪霊扱い。行為をしたらということかもしれないが、自身の内面から湧き起こる欲求、それを悪霊の行為だと言われている。酷い話だ。

聖書は同性愛的な傾向に悩まされている人をとがめてはいませんが,そうした傾向が遺伝によるものであれ,他の要因によるものであれ,それに屈することを決して容認していません。(ローマ 7:21-25。コリント第一 9:27)むしろ,同性愛の習慣を持つ人がそれを克服できるよう,実際的な助けや励ましを差し伸べています

大きなお世話で、克服など必要なく、普通にそのままを認めればいいだけ。


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