エホバの証人信者の芸術作品は平和で安全なのか?
昨日までの記事で作者にエホバの証人信者疑惑がある『クレヨンしんちゃん』について書いた。
矢野顕子も同様、エホバの証人(ものみの塔信者)疑惑がある。今でも現役信者なのかしら。私は矢野顕子は全く聴かないが、元配偶者の坂本龍一は大好きでオペラを見に行ったこともある。二人の関係が良好だったのであろう頃の矢野顕子参加の楽曲もよく聞いていたと思う。
作品を、作者の信条を理由に差別しないというのが「今のところ」「当面」の私の個人的な考えなので、特に気にしないのだが・・・
ただ、現役エホバの証人アーティストが、自身の作品で「エホバ押し」していたら、と思うとゾッとする。合間合間に「ものみの塔サイコー」と埋め込んできていたら。多大な悪影響を受けそう。
しかしながら、自身の作品でそういった主張をすることを、ものみの塔は公式には認めていない。ゆえにそこまで警戒する必要はないか。
製作物に聖書要素を入れすぎると背教とみなされるはず。聖書第一の建前と、崇拝対象は統治体オンリーの実状を堅持するため。ものみの塔としては、アーティストが尊敬、崇拝される事態を避けたい。人間崇拝は統治体だけにしてねと。
隠喩的に「ものみの塔万歳」が表現されていたりすると非常に怖い。しかし、商業的なモノに乗っかっている限りは反ものみの塔的ということになるので、問題はないのかとも思う。
エホバの証人信者の作品購入でカルト支援になるのか?
最後に気付いたのが、カルトの資金源になる問題。
坂本龍一が大好きなので、CDとか相当購入したけど、彼もエホバの証人の研究生だった情報があり、NYのエホバの証人の寄付箱に、オレの支払った金が巡り巡って入っていたらと考えると切なくなる。悲しい。
まあ、私の支払った分など本当に微々たるものだろうけど。しかし、塵も積もれば。これは考え出すときりがない。対価として支払ったので、金の所有権は移転している。当方に責任はない?とはいえ、間接的にカルト支援していいの?
暫定結論としては、「好きなら聴けば良い」としておこうか。やっぱ坂本龍一は坂本龍一で大好きだし。
逆に好きでも嫌いでもない人気タレントが、創価学会員だと知ってから、彼女が出てる番組は見なくなった。いや、どうしても興味のあるご当地系番組はそれでも見てたな・・・。
この辺りこそ好きにすればいいんじゃないかと。「反応」し過ぎず、好きなものは好き。宗教が理由で冷めたら冷めたで。何でもかんでも禁止して、白黒押し付ける「ものみの塔」的な姿勢を避けることこそ重要かと。
以上、貴重な読者様よりヒントを頂いたので書いてみました。エホバの証人信者・元信者の芸術作品について。いつも以上にとりとめがなく・・・。
読者様、ありがとうございました。
ひそかにお気持ち表明・・・
※2024/10追記。この辺り、今の私の考えはだいぶ変わっていて、かなり強硬派に。
エホバの証人現役アーティストに課金することは、教団を潤すことになるので、絶対したくない。創価学会員のテレビも積極的に見ないようにしている。そもそも、テレビはほとんど見ないので関係ないのだが。
とはいえ、故・坂本龍一だったりしたら話は別なんだけど。まぁ、彼が現役信者なの確定していたら泣く泣く課金はしないかな。(信者ではなかったらしいし、信者ではなかったと信じている。)
というか、エホバの証人みたいな自分を押し殺した生き方をして、いい作品が果たして出てくるのか?こちとらアーティストじゃないから分らないけど、生き方がダサいと作品もダサそうだけど。
あと、脱会者が現役エホバの証人の家族を支援しているケース。金を渡していたりするの、強烈に違和感を覚える。「援助」とかエホバの証人用語出しちゃってると、お前まだ治ってないのか?と思ったり。
「支援して欲しけりゃ、エホバの証人やめろ」くらい言えばいいし、相手が現役信者なら、渡した金が回りまわって教団に流れているのは確実。守銭奴の塔側は寄付を要求してくるだろうし、寄付金でなく労働力として献上していても意味は同じ。カルトの資金源になってるんだぜ。
金渡さないと、のたれ死んじゃう?そんなことないって。エホバの証人活動する余裕あるんなら死にやしないって。資金源あるからカルト活動続けられるわけで、それを断てば脱会せざるを得ないんじゃないの?