エホバの証人2世が失う、地域コミュニティへの参加権
エホバの証人の2世信者であったばかりに失われてしまったモノがある。それは、地域のコミュニティへ参加すること。私のように子ども時代を田舎で育った人間にはとくに。
田舎だと、子どもの頃から地域の祭礼などに参加し、大人になっていく。その地域のコミュニティの中で成長し、地元に残った場合はそのコミュニティのリーダー的な存在になる。地域の年長者と子どもたち、若い人たちの間を取り持つ存在。
しかし、エホバの証人2世の子どもだった人にとって、このコミュニティへの参加権は確実に失われてしまう。
エホバの証人は、少しでも宗教臭のするあらゆる行事を禁じている。信者の子どもが、教団に関係のない行事への参加を希望すると、親はその行事を厳しく審査。エホバの証人の教理に沿っていない点のあら探しをする。
そうして、私はほぼ全ての地域の行事への参加を禁止された。地域のお祭りや行事に非参加・非協力ということは、地域のコミュニティへの参加を拒否しているに等しい。
私は14才で自分の意志でエホバの証人を脱会したのだが、中途半端な年齢でエホバの証人をやめたからと言って、地域のコミュニティに入り直すことができるわけでもない。何となく気まずいし、田舎は噂話が絶えない狭い世界。変な宗教をやっていた奴というレッテルは一生消えない。
元エホバの証人2世の生き方
地域のコミュニティへの加入権と幼少期のコミュニティの中での思い出、それらは元エホバの証人2世にとって手に入れることのできないモノ。取返しのつかないこと。それを考えるとちょっと感傷的な気分になってしまう。
しかし、自分ではどうしようもできなかったことではある。私は、親ゆえのエホバの証人だったから。熱狂的なエホバの証人だった両親に対して、子どもの私が逆らうことは不可能だった。
最近の私は、こんな昔のことを思い出して、悔やんだり嘆いたりしても仕方がないと思い始めている。
閉鎖的なコミュニティ、それはエホバの証人をやめた元2世信者にとって、最も憎むべきモノ。そういった閉鎖的な集団の中で何が起こるか、どんな弊害があるか、そこから出るときにどんなに居心地が悪いか、それをよく知っている。
地域のコミュニティは、決してエホバの証人組織のような、ねじ曲がった集団ではないだろう。田舎の集団的交流は、幼少期から老人になるまで、安心できる空間だろう。地域のコミュニティに属していることには何の問題もない。
私が手に入れることのできなかった地域コミュニティへの参加権。しかし、手に入らなかったからと言って、嘆くことも無理に加わり直そうとする必要なんてない。得られなかったのなら、それはそれで良い。
都会生まれの子どもにとっては既に失われてしまったものであるし、偶然田舎に生まれていたり、私の家族のように、故意に田舎に引っ越したりしない限りは、もともと無縁のもの。
済んだことを悔やんだり、振り返ったりしても仕方がない。今からどうすれば良いのか?自分の子どもたちに、私と同じ思いをさせないためにどうすれば良いのか?それを考え、元エホバの証人2世は、過去の親の過ちを繰り返さないように生きていくべきだ。