現役エホバの証人カウンセラーの責任を問う。“配慮”という名の沈黙が、虐待を継続させる

児童相談所へ通告していたとしたら?

現役エホバの証人によるオンラインカウンセリング「オリーブの葉」の問題構造を検証中。

架空の事例ながら、私が告白した宗教虐待に対し、公認心理士を名乗る現役エホバの証人カウンセラーは沈黙。それを糾弾するメールを送ったところ。想定される言い訳に対して、事前対策中。
※本件の相談は、宗教支援の制度構造を検証する目的で行った架空の事例です。実際の虐待事案ではなく、現役エホバの証人カウンセラーの対応姿勢を検証するためのものです。公益性のある問題提起として、社会的な議論の材料とするためのもので、業務妨害の意図などはありません。

  • このカウンセラーが児童相談所へ通告していたとしたら?
  • その上で、「子どもにさらなる被害が及ばないように、相談者を刺激しなかった」という言いわけをされたら?

「すでに児童相談所に通告していた」「相談者を刺激しないように配慮した」―この二段構えの言い訳は、制度的責任を果たしたように見せかけつつ、助言不在の正当化を図る典型的な構造。

通告していたならその旨を明示すべきだったし、相談者への助言を避ける理由にはならない。

なぜ「通告済み+配慮」の言い訳は成立しないのか

① 通告済みなら、その旨を明示することで信頼関係を築くべきだった
「すでに児童相談所に情報提供しています」と伝えることで、相談者は支援者の誠実さを確認できる
→それを伏せたまま曖昧な返答をするのは、支援者としての透明性の欠如

② 相談者への助言は、通告とは別の責任
通告は行政への対応、助言は相談者への直接支援
→「刺激しないために助言を避けた」は、カウンセラーの役割放棄

③ 「刺激しない配慮」が虐待の継続を黙認する構造になっている
カウンセラーが沈黙することで、相談者が虐待を正当化・継続する可能性がある
→ それは支援ではなく、加害構造への加担

仮に児童相談所に通告済みであったとしても、 相談者に対して「児童虐待はやめるべき」と明確に助言することは、 公認心理師としての直接支援の責任であり、通告とは別の義務。

また、「相談者を刺激しないように配慮した」として助言を避ける姿勢は、 結果的に虐待の継続を黙認する構造となり、カウンセラーとしての責任を果たしているとは言えない。

通告していたとしても、助言不在はカウンセラーとしての責任の放棄。通告と助言は別の支援義務。配慮という名の沈黙は、加害構造への加担になり得る。


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