エホバの証人の死の記念式から考える、信教の自由とは?

エホバの証人の不法行為

民法上の不法行為が宗教法人の解散要件になるというサプライズ判断が最近あったばかりだが、ここでエホバの証人の不法行為をぶちまけたい。

春先にエホバの証人が行う「イエスの死を思い起こす集まり」という気持ち悪いタイトルの記念式。

この記念式は、キリストの命じたとおりに行っているという設定上、世界中で同日に実施される。明日以降の記事で書くが、日付やら式事にはひどくこだわるのに、式の大枠がキリストの命じたとおりになっていないのが、エホバの証人の滑稽な記念式。

とにかく、エホバの証人はしょうもない日付にはやたらとこだわるので、世界中で同じに行われている。今年2025年だと4/12。

昨今、エホバの証人の所有する会館は省エネ化していて、都心部だと4とか5つの会衆という単位で使いまわしている。

記念式は、日没後と決まっているので、子どもを連行したとしても、まだ許せる時間に終わろうとすると、一つの集会所で2ターン、ダブルヘッダーがいいところ。

信者が減ってはいるものの、この日だけは参加者を増やそうとして、迷惑を省みず脱会者にも声をかけたりするものだから、参加者は膨れ上がる。

同じ時間帯に同時開催する会衆もあったりするのだが、それでもどうしても自前の集会所を使えない会衆が出てくる。

そういうときにでてくるのが、外部ホールの使用。特にコスト面を考慮してなのだろうが、公共施設の利用が多く見られる。

公共施設でよくあるのがアルコール禁止のホール。エホバの証人は、こういったアルコール禁止の会場に、キリストの汚い血を表す赤ワインを無断で持ち込んだりする。

例年、公共施設の会場に電話を入れて確認しているのだが、「酒の持ち込みなんて聞いていない」というホールが出てくる。出てくる。

些細な行動で世界を変えられるかも知れない話、エホバの証人の死の記念式開催を止める

信教の自由とは?

また、酒の持ち込みを聞いていたとしても、アルコールの持ち込みは通常なら絶対NGのはずなのに、エホバの証人側に譲歩して、赤ワインを飾るだけならOKとしてしまっている公共施設がある。

ルールって何のためにあるの?

信教の自由とは、宗教団体の横暴を許すことでも、宗教団体の幼児性を許容することでもない。そして、怖くておっかなくて気持ち悪い宗教団体の言いなりになることでもない。

エホバの証人のおバカな行事を、公共施設のルール内でやるのを妨害しないのが信教の自由。時間の無駄で気持ち悪いおバカな死の記念式なんてモノに、ルールをきちんと守れるのならば、みんなの公共施設を仕方なく貸し出してやるのが、信教の自由を認めるということ。

公共施設のルールをねじ曲げてまで、エホバの証人に譲歩するのは信教の自由ではなく、指定管理者としての怠慢にすぎない。公共施設をルールどおりに管理・運用しろよ。


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