「エホバ」という恥ずかしワードで揶揄される
『みんなの宗教2世問題』5章「宗教2世はいかに描かれてきたか」。
村上春樹の『1Q84』、エホバの証人がモロにモデルになっている「証人会」というカルトが出てくる。
一人の男子が「証人会」の布教活動をしていることで彼女を揶揄した。家から家をまわり、馬鹿げたパンフレットを渡して回っていることで
そりゃ、バカげたパンフレットを渡して回っていれば揶揄される。これがエホバの証人2世の日常。
しかし、果たして本人が心から望んでやっているのか、強要されてやっているのか、あるいは騙されているやっているのか、それくらい酌んで欲しいモノだが、小学生やそこらの子どもにそれを求めるのは難しい。
エホバの証人2世が「エホバ」と呼ばれて揶揄されること
それを想像する際、筆者の胸苦しさは、自分がそう呼ばれたときと同様に、極限まで高まる
「エホバ」という忌ま忌ましい恥ずかしワードで呼ばれバカにされる。愚かなエホバの証人親のせいで。
子どもでもエホバの証人がバカげた宗教というか、愚かな振る舞いだと認識している。それなのに、こんなおバカなカルトに騙される大人というのは、いったい何を考えているのだろうか。何も考えていないんだろうね。
フィクションを凌駕するエホバの証人の悪
『1Q84』より。
もちろん「証人会」の内部で実際にレイプに巻き込まれるようなことはなかった
もちろん、エホバの証人の場合は児童がレイプに巻き込まれることはある。海外では実際に訴訟になっていて、教団側は巨額の訴訟金を支払っている。対岸の火事ではなく、日本国内でも被害者は存在する。
「兄弟・姉妹」は、みんな穏やかで誠実な人々だった
この辺もズレている。エホバの証人の信者は穏やかであっても誠実ではない。都合の悪いことを指摘されれば、逃げ回る。不誠実そのもの。
京都市のエホバの証人の電話番の不誠実な態度、まさにカルト信者
普段の抑圧の影響で怒り狂ったりDVを行う信者もおり、誰もが穏やかなんてことはない。そもそも、とある集団をとらえて全員が穏やかなんていうのは、何か裏がある。
当然、エホバの証人の場合はカルトの専売特許のマインドコントロール。思考を停められ、薄ら笑いを浮かべた穏やかな話し方が素晴らしいと価値観を歪められている。その実、うちには本性というか、マインドコントロール下の抑圧で暴力性がため込まれている。
信仰について真剣に考え、その教義を-ある場合には生命をかけて-尊重して生きている
エホバの証人の教理について真剣に考えれば矛盾があるのは明らか。エホバの証人は、矛盾したウソつき教理に生命をかけている。愚かとしか言いようがない。