悪人はどっちか?変態かつ不自然なエホバの証人
エホバの証人の週日の集会テキスト(2024/2/5-2/11)。
悪人はそうではない。風が吹き払うもみ殻のようだ
詩編1:4
この聖句などから「宝石を探し出す」というのをやっている。自分たちエホバの証人以外を「悪人」と断じて、風に吹き飛ばされるもみ殻のごとく滅ぼされる、などとコメントするエホバの証人。
いったい、「悪人」はどっちか?
令和6年能登半島地震、被災地にネクタイにスーツで訪問するエホバの証人の偽美談
「野外奉仕に励む」という部分。布教活動をする際の騙す用のトレーニング。自然に会話を始めるために聖書中のフィリピに倣うという動画。
使徒8章後半の記述を動画にしているのだが、なかなかシュールで噴飯もの。
エチオピアの宦官が、エルサレムからの帰り、走っている馬車の中で予言者イザヤの書を朗読していた。
フィリポは並んで走り,高官が預言者イザヤの書を朗読しているのを聞いて,「読んでいる内容が分かりますか」と言った。高官は,「誰かが教えてくれなければ,どうして分かるでしょうか」と言った。そして,乗って一緒に座るようフィリポに頼んだ
動画の中で、フィリポが馬車に並走してトコトコ走るのだが、この姿がなかなか変態。マンガに出てきそう。ちょっと気持ち悪い。
これで自然さを学ぼうとしているので、さすが脳内お花畑と言わざるを得ない。
自然さなんてモノは、エホバの証人にとって土台無理な話。「神の王国」「体罰」「輸血拒否」の3点セットで不自然そのモノ。
不自然なカルト宗教の布教を自然に行おうとしているのだから、それは人々を欺く行為に他ならない。エホバの証人の集会では、こういった不正義な教育がされている。
まあ、どれだけ教育しようが、変態小走りと不自然3点セットだから、成果は得られないだろうが。しかし、なぜ自分の親はこんな変態かつ不自然なモノに騙されてしまったのか、不思議でならない。
非論理テキストで徹底的に教えるって・・・
集会の後半は『神の王国について徹底的に教える』5章の真ん中。
当局者たちには市民を治める権利がありますが,神が求めていることを禁じたり,神が禁じていることを求めたりする権限まではありません
何言ってんだ?神が求めていること?神が禁じていること?寝言だよ。
たとえ「上位の権威」が伝道を禁止するとしても,私たちは良い知らせを伝えるという神から託された仕事をやめることはありません
堂々とした反社会的カルト宣言。
現代でもエホバは,ガマリエルのような影響力のある人を通して助けてくれることがあります。事を動かすため,裁判官や政治家や役人たちの心に働き掛けるかもしれません。もちろんいつもそうするわけではなく,私たちが「正しいことのために苦しむ」場合もあります
助けるのか、助けないのかどっち?
助けてくれるのはたまたまで、変な奴や売名行為をしたい迷惑な奴が出てきただけ。それをエホバの証人が「エホバガー」と言ってこじつけているだけ。
こう続く。
それでも神は忍耐するための力を与えてくれます
それは気のせいというか、自分の心のことだから、自己暗示かけているだけ。さらに、次のように続く。
そして,神がしようとすることは誰も「阻止することはできません」
「そして」の意味が分からない。決して話は順接でつながってはいない。たまたま変人が出てきたら、助かることがある。あとは「病は気から」の「気」の部分で神の助けがあったつもりなだけ。その程度の効力しかないのだから、「神のしようとすること」は阻止されるだろ。
私たちも良い知らせのために苦しむことがあります。それでも,1世紀の兄弟たちと同じように,喜びつつ耐えることができます
正しいことを行えているという確信があるので喜べます
エホバの証人の場合、正しいことを行えている根拠は、迫害されるからという理由。迫害されるから正しいことをしていると言える。正しいことをしているから喜べる。という意味不明なループ構造。
正しいことをしなければ、当然迫害というか断罪される。それなのに、迫害されたから私たちは正しい!って言えるのか?であれば、刑務所に入っている奴ら全員、正しいことになる。エホバの証人の言っているのはこのレベル。
確信というのは、はっきりとした証拠に基づくモノなのだが、こんなので確信できちゃう神経を疑う。エホバの証人の確信は盲信にすぎない。
こんな非論理なテキストで、他人に「徹底的に教える」って。