エホバの証人が嫌われる理由、体験したことを話すのをやめるわけにはいかない理由

エホバの証人が嫌われる理由

エホバの証人の週日の集会テキスト(2024/1/29-2/4)、『神の王国について徹底的に教える』5章前半部。

激怒したカヤファは,イエスの名前すら口にしたくありません

この気持ち、よくわかる。元エホバの証人2世である私にとって、エホバの「エ」すら汚らわしい。

「なぜこんなに嫌われるのか?」と、嫌われている側が真摯に考えないと直しようがない。しかし、そういった自浄作用が宗教にはない。

1世紀の使徒連中も同様。

サドカイ派の人たちが激怒したのはどうしてでしょうか。使徒たちはイエスが復活したと教えていましたが,サドカイ派は復活を信じていませんでした

サドカイ派は、復活をでっち上げて人々をたぶらかす使徒を危険視していただけ。至極真っ当な理由。

さらに、こういう危険な宗教団体は、自分たちが嫌われる理由を都合よく捏造し、自教団の存在理由にしたり、信者の盲信を強めるのに利用する。

私たちはいろいろな宗教の教えが間違っていることを指摘しています。その結果,間違った信条や習慣から自由になった人たちがたくさんいます。(ヨハ 8:32)そのため,私たちはねたまれ,憎まれます

そんなことない。

エホバの証人が、「他の宗教を間違っている」と独善的なことを言っていても、別段、誰も相手にしていない。目くそ鼻くその世界。どうでも良い。

「他の宗教」も、エホバの証人のことなど全く相手にしていない。エホバの証人みたいな異端中の異端に何を言われようと、痛くも痒くもないから。

信者をエホバの証人に奪われようと、大した人数でない。軽微な被害。宗教離れの理由は時代の潮流であって、「エホバの証人」みたいなちっぽけなモノではない。

また、エホバの証人に対して、少なくとも誰もねたんではいない。ねたむような羨ましい要素はゼロ。むしろ、「可哀そうに」と憐れんでいる。

そして、これ以上被害者を増やすなという義憤。さらに、個人的に被害を受けたことに対する憤りと憎しみ。

エホバの証人が責められるのは、エホバの証人組織自身の間違った行いゆえ。

間違った宗教を指摘するエホバの証人、自己紹介になっている

体験したことを話すのをやめるわけにはいかない理由

伝道する任務はイエスから託されました。そのイエスは神から権威を与えられています。(マタ 28:18-20)使徒たちは脅しに屈して,語るのをやめてしまうでしょうか。それとも,ひるまずに勇気を出して伝道を続けるでしょうか。これは言ってみれば,神に従うか人に従うかの選択です

言ってみれば、神に従うか、人に従うか?

嘘つけ、キリストは神の名をかたっているだけなんだから、そもそも人だろ。

何とペテロの影が掛かるだけでも病気が治ったようです

だいぶ怪しくなってきている。ペテロ教祖様ですか?聖書中で奇跡が起きている設定からして、もともと十分怪しげなんだけど。

私たちはどうでしょうか。使徒たちと同じような状況になっても伝道を続ける信仰と勇気があるか,考えさせられます

使徒たちと同じような状況というのは、行政府によってエホバの証人活動を禁じられるシーン。

「神の王国について徹底的に教え」る活動を天使が今も後押ししてくれています。そのことを思い起こすと,力が湧いてきます。

ゴリゴリに禁令下でもエホバの証人活動を続けるみたい。反社会的組織だな。

「私たちとしては,見聞きしたことについて話すのをやめるわけにはいきません」

同じく。

エホバの証人の子どもとして体験したことを話すのをやめるわけにはいかない。エホバの証人という間違った宗教が、人々をたぶらかし不幸にするのを黙って見ているわけにはいかない。

エホバの証人も同じつもりなのかも知れないけれど、エホバの証人が伝えていることは自分自身で見聞きしたことではない。ものみの塔から聞きかじったことのスピーカーになっているだけ。聞いたことを繰り返すだけのオウムと同じ。

エホバの証人は

「真理を知り,真理によって自由になります」(ヨハネ8:32)

と言いつつ、騙されているのは明らか。エホバの証人こそが真実を知り、ものみの塔による囚われの身から自由になるべき。

エホバの証人の週末の集会テキスト:「騙されるよ」サインが出まくっている


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