情弱な民、エホバの証人
2023/12/4-10のエホバの証人の週日の集会テキストから。
「人は神の役に立てるだろうか」
私たちは正しく生きることによって,エホバがサタンのあざけりに返答するための根拠になれる
「わが子よ,賢くあって,私の心を喜ばせよ。私をあざける者に私が答えるためである」
あざけるってなんやねんと。あざけられたって別に良くね?ちっせーよ。全能の神がこんなしょうもないことやらないって。情弱な民が、都合よく動かされている。
神は自分の願い通りに物事を行う
エホバの証人の神設定だと、当初の予定からだいぶしくじっている。序盤の序盤でアダムとイブに裏切られるわけだから、全く願い通りになっていない。その辺には目をつぶってしまう情弱な民、エホバの証人。
堂々と児童虐待の証拠を垂れ流す、エホバの証人の集会
「子どもたち エホバはあなたの忍耐を歓ばれます!」という動画。
私はサムソンの生き生きとした絵によって、エホバがサムソンに与えた強さが分かります
って、背景の絵がサムソンの最期。人が真っ逆さーまーに落ちて、死ぬ最中。
そして、3,000人が虐殺される直前。
こんなモノ子どもに見せて喜んでんじゃねーよ。大量虐殺死が発生するこの絵を、子どもに見せるのは客観的に不適切。児童虐待に該当する。
学校で真理の道を歩むとき、他の子たちと違って目立つことがありますが、そんなときこの物語は、エホバからの支えと力が与えられることを思い出させてくれます
んん?目立つのイヤだから、支えと力が与えられた気になってるってことだけど、それつまり、学校でエホバの証人やるの嫌だってことだよね。それ、児童虐待ですから。
「私たちは死んでも生き返ります」が好きです。死ぬのは怖かったけど、イエスが復活させてくれるので、もう怖くありません。
おいおい、死ぬのは怖いぞ。死生観を歪ませるエホバの証人の教育ヤバいって。
ビデオのおかげで勇気を出せるようになりました
この勇気ってのは、行動によって信仰を示すことなので、これまた児童虐待だよね。勇気を出さないといけないのは、嫌だって気持ちがあるから。嫌々、信仰を表明・実践させている。これも児童虐待。
信仰を守るために子どもは勇気なんか出さなくていい。そんな下らんことで、子どもの神経をすり減らすなよ。
児童虐待集団だと指摘・報道されている状態で、児童虐待の証拠となる動画を集会で堂々と垂れ流す無神経。エホバの証人組織を心から軽蔑します。
情弱な民が騙される、作り話。
『徹底的に教える』の本3章、33年のペンテコステの日に
炎のような舌が幾つも現れ,一人一人の上に1つずつとどまります。そして,皆が「聖なる力に満たされ」,外国語を話し始めます
話せないはずの言語で話し掛けてくる
あり得ない作り話。よくこんな表現しておいて、聖書は科学的って言えるな。
こういう作り話で、自身の正当性をこじつけようとしている。いつの時代もやり口は一緒。そして、情弱な民が騙されて、
人生を徹底的に損ねる。