明確に問題視されているエホバの証人の記念式
ものみの塔と裁判をしている件。ものみの塔側が私のブログを証拠資料乙33として提出している。「エホバの証人が記念式で使用する公共施設600ヵ所に電話。」という記事。
この記事の内容は、エホバの証人が記念式でアルコール禁止の公共施設に赤ワインを持ち込んでいることに対し、当該の公共施設に確認の電話を入れた際のこと。
これに対し、ものみの塔が裁判の準備書面で以下の主張をしている。
エホバの証人の教義上、実際に表象物を飲食する者は特別な条件を満たす人だけであるため、大多数の会場では、飲食する人は一人もいない。そして、儀式上の行為であるため、例外的に飲食をする者についても、その量は一口程度とほんのわずかであり、通常の意味での“飲食”とは全く異なる。それらの表象物によって会場が汚損するなどというケースも、まずない。飲食禁止という会場規則の趣旨は、会場の汚損防止であるから、ペットボトルで少し水を飲む行為が問題視されないのと同様、会場側がこれを問題視することはほとんどなく、会場側の明示ないし黙示の了解を得て、それらの施設を借りて記念式を開催していた。
原告というのが私のこと。前半部分へのツッコミは昨日までの記事にて。今日も中盤以降に反論していく。
ペットボトルで少し水を飲む行為が問題視されないのと同様
『ペットボトルの水』と赤ワインは全く異なる。水ならば、電子機器とかの上でなければ、こぼれても拭き取れば良いだけ。赤ワインは染みや臭いが残る可能性が高い。
また、水分補給は生理的に必要なことであり、飲みもしない赤ワインをグラスに注いで、子どもを含めた参加者全員に回す行為とは根本的に異なる。
会場側がこれを問題視することはほとんどなく
会場側が問題視しないのは、エホバの証人が利用時に事実を告げていなかったり、曖昧に伝えていたりするから。
さらに、「ほとんどない」ということは、問題視された事例が存在するということ。つまり、
すべての施設で黙認されているか発覚していないわけではなく、一定数の施設では、明確にエホバの証人の記念式が問題とされている。
であれば、公共施設という「すべての市民が平等に利用できる場」においては、特定の団体だけがルールを緩く解釈してよいということにはならない。
公共施設の本質は、誰に対しても公平であること。ある団体には黙認し、別の団体には厳格に適用するような運用がまかり通れば、それ自体が不公平の温床になる。だからこそ、全国一律にルールを厳格に適用することが、行政の中立性と市民の信頼を守るために不可欠。
今回我々の指摘によって会場を貸さない方針に切り替えた施設が25か所程度あり、これまで、エホバの証人の不法行為が野放しにされてきた現実が浮き彫りになった。やっとのこと、是正されつつあるという話。
この件は、【緊急】エホバの証人の死の記念式、直前リーク。宗教虐待とぎゅうぎゅう詰め会場?にて。


