お花畑に突撃
香ばしいお花畑なブログを発見というか、存在は知ってたんだけど、トップページからして見てはいけない禁断の世界感がプンプンするので放置していたのだが、ついつい禁断の扉を開けてしまったので、お花畑にツッコミ。
現役エホバの証人によるお花畑発言(A)
私たちはエホバのことをほんの少し知っているに過ぎません
と。
まあ、この時点でだいぶ言っていることがおかしいのだが、とりあえずは話を合わせておく。
他にもグダグダといろいろ言っているので、簡単に要約すると次のとおり。
「だから、今までもこれからもエホバの証人組織は、人権無視で罪深くてコロコロ教理が変わっても大丈夫なんです。こんなに罪深いのに、私が臆面なく布教できるのは次の理由です」
という感じ。だいぶ意訳してる感はあるんだけど、
- エホバの証人という宗教は教えを変える
- 「エホバの証人」が事件を起こした
という事実をこのエホバの証人は自ら書いている。それを踏まえていても
「エホバの証人」の誰かが問題を起こして、有名になったとしても、私自身は堂々と宣べ伝えることができます
なんて開き直っているので、あながち私の意訳も間違っていない。
このエホバの証人が恥ずかしげもなく布教できる理由(B)
私とエホバの絆が強くなっているからです
これも何言ってるか分からない妄想お花畑なんだけど、一旦話を合わせておく。
悪事に加担しても恥ずかしくない理由は、悪事の親玉との絆が強くなっているからだと言っている。まさにカルト信者。「騙せ」と言っている親分との絆が強まっているから、人を騙しても何とも思わない、ということ。
何とも自己中心的なカルト思考だことで。
「エホバの証人」という矛盾
この現役エホバの証人、だいぶヤバい思考状態なんだけど、
(A)私たちはエホバのことをほんの少し知っているに過ぎません
と
(B)私とエホバの絆が強くなっているからです
この背反する主張が、この現役エホバの証人の中で同時に成立しているのが既に異常。
何も知らん奴との絆を強めちゃっている気持ちになるから、人生を徹底的に損ねる。
(A)奴をほんの少し知っている
と
(B)奴との絆が強くなっている
が同時に成立するのは、この現役エホバの証人がお花畑に住んでいるから。
エホバの証人がそもそもこの背反する(A)(B)の上に存在している。
こいつらがエホバの証人を名乗っているのは、この創作神が「エホバ」と名前を連呼して欲しいに違いないと決めつけてるから。
エホバの証人は、「神は名前を連呼して欲しいに違いない」と、神のお気持ちを勝手に断定。その一方で、「神はいったいどこから来たんだよ?」とか「コロコロ教理変わるのなんで?なんで?」という質問には、「永遠に存在している神のことは人間には分からない。それでも、つど教理の理解が深まっている」と、名前連呼のズバリ断定とは似ても似つかない答えが返してくる。
エホバの証人そのものが、何も分からないはずの神の気持ちを断定して、自分たちの名称にするという巨大な矛盾の上に鎮座している。聖書に「みだらに神の名を呼ぶな」って書いてあるのにも関わらず。信者たちは脳内をお花畑化することで、その矛盾を乗り切っている。
というか、「今まで予言ハズシてましたー。それで騙された人がいました。信じたほうが悪いんです。今まで小学生のイジメレベルで排斥者忌避してましたー。それで精神病んだ人がいます。それでも忌避自体は続けますー」ってそんな理解の深め方してくる疫病神と、なんで絆を強めたいんだろうね?
これもエホバの証人の特徴で、ひどく自己中心的だから。おバカなハズレ予言を信じた奴が悪い。忌避される奴が悪いと。
疫病神と愛情の欠如した人たち。良い組み合わせすぎて、信者はお花畑から抜けられなくなっていく。