ベロッソスって誰?状態の考古学的無知でも塔記事を崩せる

ベロッソスって誰やねん

エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。エホバの証人が根拠にしているのがものみの塔の記事。

2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』の後半部分。世間一般の考古学的な根拠を批判。その上で、自説BC607年を信者に信じ込ませようとしている。

考古学的な話なので、素人にはチンプンカンプン。エホバの証人信者も同様で、ものみの塔の話を鵜呑みにしている。

R・J・ファン・デル・スペクは,ベロッソスがバビロニアの幾つかの年代記を調べたことを認めつつも,「だからといって,ベロッソスが独自の加筆や解説をしなかったことにはならない」

ベロッソスの著作を徹底的に研究したS・M・バルスタインは,「これまでベロッソスは一般に歴史家と見られてきた」と述べたうえで,結論としてこう書いています。「歴史家と考える場合,その著作には不備が多いと言わざるを得ない。『バビロニア史』には,現存する断片の中にさえ単純な事実に関する意外な誤りが幾つも含まれている。……そのような欠陥があれば歴史家としては失格であるが,ベロッソスは史実を記録するために書いたわけではない」

ここを攻めてみる。

引用文献は

「古代中近東の世界観と社会の研究」(英語),295ページ

「ベロッソスのバビロニア史」(英語),8ページ

らしい。

「だからといって,ベロッソスが独自の加筆や解説をしなかったことにはならない」。これはギャグかよって感じて、なんでこんなので騙されるんだろうね。

だからといって、ベロッソスが独自の加筆や解説をしたことにもならないし、ましてやBC607年にエルサレムが陥落したことにもならない。他の考古学的証拠がそれを否定している。

そして、ベロッソスは「史実を記録するために書いたわけではない」けど、エホバの証人みたいに、信者を騙そうとしているわけではないところがポイント。

「歴史家として見られてきた」ほどには、そこそこ正確だったということ。

エホバの証人みたいに聖書を曲解してBC607年がエルサレム陥落だと言い張ってるような悪意はないってこと。

そして、BC607年がエルサレム陥落の年でないことを示す根拠はベロッソスだけではない。だから、こんなモノはBC607年エルサレム陥落の何の根拠にもならない。

聖書の記述だけを根拠に、しかも曲解して根拠にしているエホバの証人とはわけが違うんだよ。

これで納得しなくて、次に進めないんなら、引拠のS・M・バルスタイン「ベロッソスのバビロニア史」や、R・J・ファン・デル・スペク「古代中近東の世界観と社会の研究」を調べさせてみる。

とりあえず、日本語でネット検索したら出てこない。信用できる著作なら日本語でも検索したら出てきそうなモノだけどね。大丈夫なの?この引用文献。

英語で検索して、出てきたとしても問題ない。

どうせものみの塔のことだから一部を曲解させるように恣意的に引用しているのだろう。

それが明らかになるだけ。そうでなかったとしても「ベロッソスが独自の加筆や解説をしなかったことにはならない」とか、「史実を記録するために書いたわけではない」と書いてあるだけで、BC607年エルサレム陥落につながるわけではない。

当然、この話をする前に、エホバの証人の拠り所聖書は潰しておかなきゃならないし、聖書からBC607年を導く方法を潰しておくべき。あと、恣意的引用が塔のお家芸であることも、先に示しておければバッチリ。引用文献が出てきたところで怪しいモノですけどね、という論調に持っていく。

聖書は「真実」でも「正確」でもなく、「隠蔽」まで行っている

ティルスの70年はだいたい、エルサレムの70年はキッチリ。それがエホバの証人

エホバの証人のナショナルジオグラフィック誌からの恣意的引用


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください