エホバの証人だったことで、その後の人生に役に立つことなど一切ない

エホバの証人の中で経験したことで価値のあるモノってあるの?

このタグをつけ損なったSNSへの投稿なんだけど、そのあと、いろいろ考えることがあって、今日の記事にしてみました。

今日の話は、現段階での持論にすぎないです。かつてエホバの証人だったことで得られたことや価値のあるモノ、役に立っていることがあると決めつけちゃっている人、そういう人は、それが現段階での自分の認識にすぎない、という気持ちで読んで貰えれば。

この件、何となく思うのは脱会者のサバイバー同士で議論したくないということ。

その理由は、人によってエホバの証人からの治癒の段階が違うから。私的には、エホバの証人だったことで役に立っていることがある、なんて言っている人は、まだ治っていない気がしている。エホバという猛毒がもたらす病から癒えていない。

かくいう私自身でさえ、完治しているのか不明なので議論する意味がない。「治っている」「治っていない」「役に立つ」「役に立たない」って、サバイバー同士で言い合っても答えはでないし、今さら傷つけあうことほど不毛なことはない。各人の考え方の違いなのかと思う。

すべてを否定されるべきエホバの証人活動で得たモノなど何の役にも立たない

エホバの証人だったことで役立つことなどない

私の現段階の考えとしては、エホバの証人だったことで、その後の人生に役に立つことなど一切ない。この考え方が正しいのかは分からないし、誰かに押しつけたいとも思わない。

しかし、

かつてエホバの証人だったことでこんなことが今の人生の役に立っている、という物言いを聞くと、強烈に違和感というか嫌悪感を覚えるので、黙っていられないだけ。

むしろ、エホバの証人サバイバーがエホバの証人を肯定する発言こそ黙っていて欲しい。

間違ったカルト宗教のほんの一部でも肯定すべきではないし、エホバの証人を肯定することで、自分自身の失った過去から目を逸らそうとしているようにも思える。

エホバの証人がカルトでない、という人は話にならないので、お引き取りを。そういう人こそ本当にエホバという病が完治していない。

明日に続きます。


“エホバの証人だったことで、その後の人生に役に立つことなど一切ない” への1件の返信

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