エホバの証人2世の性欲

エホバの証人一家の根底にある嘘

「僕は大人になったらベテルで奉仕したいです」

子供の頃の私は両親の顔色を伺って両親が望むことを言い続けていた。ベテルに入って奉仕すれば両親は喜ぶし両親の愛を得られるのである。そのうちに実際に本当にそうしても言いのかなと思った時期が何度かあった。人生のトータルで1ヶ月から2ヶ月間ほどの日々である。

この期間は本当に真面目に集会で公開講演のノートをとりものみの塔協会の伝道活動に勤しんでいた。こうして真面目にやっていれば親子3人でハルマゲドンを通過し楽園に入ることが出来ると心の底から思っていた。これもマインドコントロールの成果である。

ものみの塔協会の活動に全身全霊を費やすことに本人たちは喜びを感じている。家族揃っての丸々の洗脳状態は彼らにとって幸福な状態なのだから周囲は放って置けばいいという意見もある。本人たちの自由だという意見だ。しかしこれは誤っている。

何故ならエホバの証人一家の根底にあるものが虚構だからである。ハルマゲドンを通過し楽園で永遠の命というストーリーが完全なる嘘だからだ。結局エホバの証人一家の未来に幸福が待つことはない。それに周囲の無垢の人々を勧誘しさらなる犠牲者を増殖させることは本人たちの自由という言葉で許されることではない

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強制されるエホバの証人2世の証言

ものみの塔崇拝の始まり

エホバの証人はお互いを兄弟姉妹と呼び合う。女性の信者だったら○○姉妹、男性なら○○兄弟というふうである。ただ兄弟姉妹と認められるにはバプテスマと呼ばれる洗礼の儀式を受けなければならない。バプテスマの儀式は大会という大きな単位での集まりの際に行われる。バプテスマを受ける側とバプテストの双方が水着に着替えて設置された小さなプールでこの儀式を行う。バプテスマを受ける側の信者がバプテストによって水中に一瞬沈められる。

心からものみの塔協会に献身していない人は髪の毛が水面に浮いてしまうなどというエホバの証人都市伝説があるが、これは出鱈目だろう。献身の儀式であるバプテスマを終えた後は、おめでとうございますとそこら中の信者から祝福されるのである。自分の時間や財産、そして自尊心までをも何もかもを存在すらしない神に捧げることになるさらなる悲劇の幕開けである。本人たちは神エホバに献身しているつもりなのだが、エホバの証人が献身しているのはものみの塔協会という組織である。組織に何もかもを捧げるものみの塔崇拝の始まりである。

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エホバの墓

エホバの証人の占いと墓参り

ものみの塔協会の教義では占いや墓参りは禁止されている。そのため私は現在に至るまで一度も墓参りに行ったことがない。両親もかつては熱心なエホバの証人だったのでそれぞれ自分の墓というものを用意していない。私の一家はどこの墓に入ることもなく死んでいくことになる。一度も参ったことも掃除したこともない親族の墓に入れてくれというのも今さら言い出せないのである。今でもお盆の時期になるとちょっとした会話の節々にエホバの証人2世だった自分と他人との違いについてまざまざと感じざるを得ない。

ものみの塔協会は星占いを占星術と呼び信者たちに禁止されている。当然星座だけでなく生まれ年や血液型による占いも一切が禁止である。しかし血液型による性格の違いのようなものは科学的な根拠があるとしてエホバの証人の間でも語られることがあった。他愛ない占い全てがエホバの証人には禁止されている。私も子供の頃に占いの本やテレビの占いについて学校の友達と話すことが出来ず寂しい思いをしたものだ。

墓参りについてはもっと厳格に禁止されていて、墓参りしたことが見つかるとエホバの証人組織から追い出される排斥処分になる。今でも私は墓地に近づくとちょっとした違和感を覚える。子供の頃から仕込まれた習性は簡単には抜けないのだ。

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エホバの証人2世が特権より欲しかったもの

エホバの証人2世にとっていらない特権

エホバの証人用語で特権というものがある。これは簡単に言うとエホバの証人組織内で出世するということである。日曜日の集会で公開講演を行うことになる、何千人も集まる巡回大会で講演をすることになった、会衆内の長老に任命された、エホバの証人的にはこれら全てが特権を得るということになる。組織内でエホバの証人的な立ち回りを上手く続けていると特権を増していくことになる。私は物心ついた頃からエホバの証人2世として育てられていたのだが、そういう組織内で出世していくようなタイプの信者にはなれそうも無かった。

私は幼い頃からものみの塔協会が禁じている暴力や心霊現象を扱うテレビ番組を両親に隠れて見ていた。このテレビ番組の禁止レベルが非常に厳格で私の子供の頃だとキン肉マンやゲゲゲの鬼太郎クラスでNGだった。隠れてテレビを見ていて親に見つかりそうになったり、テレビを見ることの出来る決められた時間を超えたりするのに伴って両親に対して常習的に嘘をついたりすることになった。

またテレビゲームだとかプラモデルといったこの世のものが与えられることがほとんどなかった。エホバの証人にとってふさわしくないというのがその理由である。自らそういったものを手に入れるために万引きをしてみたり親の財布から金を抜いたりと、普通の子供にとっても悪と思われることをするようになっていた。

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カルトの証人

宗教に奉仕するエホバの証人

ものみの塔協会の教義を第一に考え最優先事項に置く。これがエホバの証人のそもそもの間違いなのだ。宗教は癒しや慰めであったり道筋を示すものであったりそんなものでしかない宗教は人のためにあるものなのである。人が宗教に仕えるのではない。宗教が人に奉仕するのである。宗教を人間よりも上位に持ってくるとおかしなことになる。日常生活や人生を投げ打ってまで宗教活動に従事しなければならなくなる。

それは宗教を生業としている人だけに必要なことなのだ。代々の神官であるとか僧侶として出家したとかそういった人々である。我々のような宗教的素人が何らかの宗教や神にのめり込み過ぎるのは良くない。

宗教と日常生活とのバランスを崩し最大限に宗教への前のめりを要求してくるのがカルトでありその先には必ず破滅が待っている。精神の荒廃、家族の崩壊、経済的な損失も計り知れない。何ごとにもバランスが重要なのだ。エホバの証人は聖俗のバランスを一切認めない。俗っぽいものの全てを完全悪だとしているのである。

エホバの証人はどうせハルマゲドンでこの世の全ては無に喫するのだと洗脳されている。そして多額の寄付をものみの塔協会に捧げ無意味に質素な生活を送り、最後には経済的に破綻を生じる。いつまでもハルマゲドンが来ないからだ。そして悲嘆にくれた家族は崩壊に至る。

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バプテスマのさなか膨らむ妄想と水着の下半身

エホバ証人のバプテスマとは

エホバの証人の世界にはバプテスマという組織に対する献身の儀式がある。この儀式のポイントはエホバの証人組織に献身するということなのである。建前は神に身も心も捧げるということになっているのだが、実際はものみの塔協会の言うことを妄信的に信じ命も捧げることも厭わないという覚悟の表明となるのである。輸血拒否の教義がある限りエホバの証人は輸血の是非が生存の境界となる場合には組織に殉ずる限り死ぬことになる。交通事故などには充分注意して頂きたい。

このバプテスマはエホバの証人の年に何回か開かれる大会という大規模な集会で行われる。その地区で新たに献身する信者が集められ、大会のプログラムの中で献身にまつわる話がなされる。その後で実際にバプテスマとなる。信者は全員水着に着替えバプテストの男性にお姫様抱っこをされて一瞬プールの水の中を潜らされる。髪の毛一本たりとも水の中から出てはいけない。全身を潜らせなければ失格となる。

献身するのに”ふさわしくない”人の場合は何度やっても体の全部を沈めることが出来ないというエホバの証人の都市伝説がある。神や聖霊によってバプテスマが妨害されているということなのだが、ただの迷信である。エホバの証人の誰かがでっち上げた話である。

この大会は市民ホールや大きな展示館などを借りて行われる。そこにプールを持ち込んで水を張ってこの儀式を行っているのだ。全くご苦労なことだがホールの運営側に許可を得ているのかどうかは不明である。エホバの証人は神のご意志”に沿っているという前提ならば社会的な法規や契約などは簡単に無視する集団である。危険なカルト集団である。大きなホールを貸し切るのは簡単ではないので、バプテスマ用の水を張ったプールの使用を断られたとしても無視して強行するはずだ。

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友達のいないエホバの証人

友人関係を構築しにくいエホバの証人2

私は両親ともにエホバの証人という神権家族で育った。14歳の時に私はエホバの証人2世をやめ、その後父親、母親の順でエホバの証人組織を去った。父親と2人でじっくり話す機会というのは私がエホバの証人組織をやめた後ではほとんど無くなってしまった。その父親からこう聞いたことがある。両親が離婚して父親が家を出て7~8年ぶりに再開した時の話である。

「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」

この話をしたのは私が30歳くらいの時だった。エホバの証人組織をやめた後の高校時代の友人との付き合いが今でもあることを話したのである。この時に父親はそう言ってその友人たちを大事にするようにと、そういう友人が私にいることを嬉しいと言ったのである。

私の両親はエホバの証人2世という特殊な環境で一人息子の私を育てることになった。このことを父親は深く後悔していた。良かれと思ったことが間違いだったのである。私には両親を責める気持ちは一切無い。しかし息子のいる私としては決して同じ誤りを繰り返してはいけないと思っている。

宗教臭のする行事に一切参加せず、週3回の王国会館での集会、週末には子供の頃からネクタイを締めて野外奉仕活動である。こんな変わり者のエホバの証人2世にはなかなか友人ができないだろう。

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エホバの証人家族の行く末

エホバの証人の元2世に残る傷跡

私の両親は父親がエホバの証人組織をやめてから家庭内別居に近い状態にあったようである。まだエホバの証人組織に未練が残り洗脳状態の解けていない母親と、ものみの塔協会の偽善体質に気付いた父親との関係が希薄なものになっていったようである。

私の高校生以降の学生時代は寮に入ったり遊び歩いていたりとあまり実家に帰ることはなかった。就職してすぐに家を出たことも大きいだろう。この頃の私はものみの塔協会により奪われた幼少期からの時間を取り戻すべく、エホバの証人2世として禁じられていたことの全てをやろうとしていた。今まで出来なかったことを全てやらなければならない、誰よりも楽しく生きなければならないと思い込んでいた。エホバの証人組織をやめたばかりの父親の痛みと未だ組織にとどまる母親の洗脳状態を気遣う余裕などはとても無かったのである。

私でもつい最近までエホバの証人やものみの塔協会について冷静に考えることは出来なかった。ものみの塔協会を憎みその教義を全否定し、何も知らずに私の家に伝道にやって来るエホバの証人たちを追い返すことしか出来なかった。道を歩く伝道奉仕中のエホバの証人を見ることや、あのパステルカラーの王国会館を見ることが恐怖ですらあった。

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単純だが洗脳効果のあるエホバの証人の賛美の歌と祈り

エホバを賛美する賛美の歌

エホバの証人の集会は賛美歌と祈りで始まる。王国会館で集会が行われるときには盛大に賛美の歌と呼ばれる賛美歌が歌われるのだが、個人の家で行われるような場合は、流石に賛美歌は歌われていなかった。

賛美歌はたしか100曲ほどもあって、独自の賛美歌の本まで出版されている。賛美歌の伴奏のカセットテープなども製作されており、それらを含めた出版物などにまつわる寄付金はエホバの証人の収入源となっている。現在ではCD、さらにはデータ化されているのかも知れない。

集会の始まりにはそのカセットテープを流す係の人がいて、決まった賛美歌を全員で合唱するのである。

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