闇に葬られている1975年のものみの塔預言
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。『ものみの塔の終焉』9章「1975年狂想曲」
ものみの塔協会が、ハルマゲドンの特定の年を指定して物議をかもしたのは、1975年が最初ではない。大きな騒動となった年としては、1975年の他にも1914年と1925年がある
新しいエホバの証人は、1914年はラッセルの預言の外れた年ではなく、聖書預言が劇的に成就した年だと信じている
ほとんどの人は、外れたといって騒いだのは背教者だぐらいにしか思っていない。1925年について知っている人はたぶんいない
次第に、1975年も1925年の仲間入りをしそうになっている。時の経過と共に、1975年の出来事を知らないエホバの証人が増えているからである。ただ、1975年には、1925年と比較すると人類創造の6000年という教義上の意義があるので、簡単に消えてしまうことはないと思うが、ものみの塔協会がうやむやにしてしまう可能性は強い
著者の指摘通り。1980~1990年代をエホバの証人として過ごすことを強制された私の理解では、「1975年にハルマゲドンが~」と言っている人は、ものみの塔的罪人・背教者扱いされていた。
人類創造6000年というのも無かったことになっていたかも知れない。(私はマジメなエホバの証人2世でなかったので、知らないだけなのかも知れないが・・・ただ「ものみの塔」なんて読むだけで害があるので、これはこれで良かった)
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