ものみの塔の圧倒的ご都合主義
エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落を潰す。
2011年10月号のものみの塔『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部』によると、
キュロス2世がバビロンを征服した西暦前539年は,歴史の要となる年代であり,以下の証拠に基づいて算定されています。
以下の証拠というのが、
- 古代の史料の記述
(シチリアのディオドロス、ギリシャのヘロドトス) - 楔形文字の粘土板
BM33066
「BM33066」という
粘土板には,天体の位置に関する誤りが幾つかあるとはいえ,キュロスの息子で後継者となったカンビュセス2世の第7年に起きたという,二度の月食についての記述が含まれています
「とはいえ」の使い方が間違っている。
ものみの塔のホントにおバカで恥知らずなところは、自説を裏付ける証拠の不備は無視。逆に自説に反するモノには些細な不備を指摘して全体が信用できないとするところ。
つまり、BC607年エルサレム陥落を裏付けるならどんなモノでも採用し、そうでないモノは徹底的に粗探し、少しでも矛盾があると全体が信用できないと貶める。
ものみの塔の圧倒的ご都合主義。
ものみの塔がこの粘土板を採用するのは、BC539年をキュロスがバビロニアを滅ぼした絶対年としたいから。そして、そこから聖書の記述に従って70年逆算しBC607年エルサレム陥落とこじつけたいから。
このこじつけも論理的に不成立なんだけど。聖書によるとエルサレム陥落BC608年、終わりの時代は1913年からになりますが・・・
3つの絶対年
“3つの絶対年がエルサレム陥落の年を示す、ものみの塔の20年が割り込む隙は皆無。” の続きを読む

