エホバの証人の同性愛に対する狭量な信念:子どもたちの苦悩

追い込まれるエホバの証人の子ども

昨日の記事の続き。ダニエルの勇気に従って、エホバの証人の子どもが蛮勇を示すと社会や学校で孤立する。そのようにして、エホバの証人は教団依存を深め、時には精神を病む。

今回も、エホバの証人の子どもを傷つけて、組織からの離脱を阻もうとする内容。エホバの証人の週末の集会テキスト『ダニエルの手本から学べること』。

同性愛を一つのライフスタイルとして受け入れる人は教室の片側に,そうでない人は反対側に立つように,と言いました。兄弟はこう言います。「クラスの中で同性愛を支持しなかったのは,私ともう1人のエホバの証人の子だけでした」

エホバの証人の子ども、こういった妄信仰を試される機会があれば、勇気を示せと教えられている。今回のテキストもそういう流れ。

こういうのが、年頃の子どもにとって一番キツイんだけど、情弱信者の親たちはそんなことを考えもせずに、子どもたちにこういう拷問に近い罰ゲームに果敢に挑ませる。大恥をかいて、バカにされ蔑まれることを強要する。

それが嫌で妄信仰を歪めようモノなら、そして、それが親にバレようモノなら、待っているのは体罰。懲らしめという名の児童虐待。

地獄だよ。エホバの証人の子どもにとっては、学校も家庭も生き地獄。

「悪く言われるのはつらかったですが,信仰をしっかり貫けたのでうれしかったです」

情弱信者になる素質のある子どもは、こうして社会から自ら隔絶していく。教団内に取り込まれ行く。かたや、心が優しすぎたり、弱かったりすると、親や教団の仕掛ける、こういった拷問に耐え切れずに心を病んでいく。

同性愛者に対する、エホバの証人の偏見

ハッキリさせておきたいのは、エホバの証人のテキスト内のこの逸話から、「エホバの証人は同性愛を一つのライフスタイルとしては受け入れない狭量な宗教」だということ。このご時世に、こうもハッキリ書いてるんだから、エホバの証人には、とっとと散って欲しいモノだ。

「真の正しさは平和をもたら[す]」という動画もテキストに付属している。

エホバの証人が屁理屈をこねて、同性愛者を偏見していないが、同性愛者の行動は受け入れない、という動画。

「エホバの証人は信じていることを押し付けることをしない」

といって同性愛者を受け入れないことを正当化している。というか、オレはエホバの証人の毒親の信じていることを押し付けられた。ウソ偽りだな。

「神はすべての人を受け入れるけど、すべての行動を受け入れるわけじゃない」
「薬物を使ったり盗みをしたり、暴力をふるう人がエホバの証人になることはできない。そういう行いは神に受け入れられない」

こんな失礼な話はなくて、その人の性的嗜好から来る行動を犯罪と一緒くたにしている。普通に偏見だよ。

というと、

「これは聖書の考え方でー、エホバはどう考えているかー」と、エホバの証人はやりだす。存在すらしない神に責任転嫁。

「エホバの証人よ。お前はどう考えているんだ?」

結局、何も考えていないんだけど、聖書とエホバを全面盲信なので(実質は教団組織と統治体)、そいつらと同じ考え。エホバの証人はこれを否定できない。

つまり、エホバの証人は「同性愛行為は犯罪と同じ」だと考えているんだよ。エホバ様と同じお考えなんでしょ。それは偏見・差別の類だよ。


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