大人も受ける、宗教虐待
『宗教2世』より。Session1-3。
宗教2世の被害者の声が掲載。アンケートの結果から。
だまし討ちで、親に宗教イベントに協力させられたり、親に車に押し込められて集会に拉致されたという体験が語られている。
もしも自分が、こんな不条理な目に遭ったら、その場で大暴れして宗教イベントや集会を継続できない状態にしてやる。「お願いですからお引き取りを。そして、もう二度と来ないで下さい」と言わせてやる。
「あぁ、そう。そこまで言うんなら、帰ってやろうか」と。
これくらい、私はカルト宗教が嫌いだから。私は14才でエホバの証人を脱会したのだけれど、この時以降、エホバの証人の集会などに参加を強制されたらこの態度を取っていた。親もそれを分かり切っているから、当然、強制されることなど無かったが。
こういう強硬な選択肢を持ちえない無力な子どもに、宗教活動への参加を強要するのが宗教虐待。私見では、何らかの事情で断れない大人に対しても、宗教活動の参加を促すのは宗教虐待に該当すると考えている。
何らかの事情というのは、幼少期からの虐待によって、強制する側の精神的支配下にあるとか、縁切りをチラつかせて強制するなど。
本書で語られる身体・精神への虐待は、私自身にも身の覚えのあるモノがある。回答者への共感と、かつての自分自身と回答者への憐憫で涙が出そうになる。
取り返しのつかない罪を償うには
学校の友人たちに変な目で見られ、からかわれることが恥ずかしく、とても嫌だった
この恥の記憶が私の原動力。返ってこないノーマルな少年の時間。取り返しのつかないことをしでかしてくれたエホバの証人組織。組織の崩壊という代償で償わせる。
そして、進学・就職に対する制限。エホバの証人はこれをガッツリやっている。
教団側は、「教理では決めていない。強制していない。全て信者個人の意思」だと、言い訳するだろうが、実際に強制されていると感じていた者が複数名いる。本書に経験談として語られている。
ということは、エホバの証人2世の彼らにとっては強制も同然。進路を決めるような段階ではまだまだ人は無力。そして、宗教虐待によって考える力や自尊心がへし折られている。
エホバの証人組織の強制方向へ、「通信高校を出てフリーター」へと、ひた走らせたのはエホバの証人組織。
教団は、決してその罪を認めないし、今さら責任を取りようもない。ならば、組織の崩壊という結末で落とし前をつけるしかない。