エホバの証人をやらされて良かった、ただ一つのこと 

世界中にエホバの証人の友人いらないから

昨日の記事で、エホバの証人をやっていて良かったことがあったか?エホバの証人の子どもに生まれて良かったことがあったか?と考えた。結論として、何一つないと書いた。

聞いたことのある意見は、日本中、世界中どこに行ってもエホバの証人の友人がいるとか。

しかし、エホバの証人は、エホバの証人しか友人と認めないので、これは私に該当しない。私クラスの生粋の背教者だと、元2世被害者です、と言っても現役エホバの証人はにとっては忌避対象となる。

私の意見としては、逆に友人は選ばせて欲しい。子どもの頃、遊ぶならエホバの証人の子どもだけと限定された。エホバの証人の子どもとは、別に気があったわけじゃなく、親がたまたま同じ宗教をしていただけ。

その延長線上で、全世界に隣人がいると言われても、気があわなそうなダサい奴ばかりなので、何の意味もない。

何の役にも立たないものみの塔の宗教本

あと、親に言われたのは、小さな頃からものみの塔の宗教本を読まされていたせいで、文字の読み書きが得意、学校の成績が良い、と。かつて両親がマインドコントロール化にあった頃にはよく言われた。

百歩譲って、文字の読み書きが苦にならないのは宗教本の強制通読のおかげだとして、学校の成績が良かったのはオレがキッチリ勉強したから。宗教本読んだからって学校の成績は上がらない。

他にも文句付けると、回りくどい翻訳のものみの塔の宗教本は、文章力に悪影響を与えそう。駄文を崇め奉って頻読してりゃ、自己のレベルもそこに近づく。

さらに、内容は事実無根の偽予言。殺し文句に「従わなけりゃハルマゲドンで死にまっせ」と。激しく精神不衛生。

というわけで、子どもの頃にものみの塔の宗教本をひたすら読まされたのは無意味。百害あって一利なし。

エホバの証人をやらされて良かったこと

やはり、幼児期からエホバの証人という宗教を強制されて良かったことなど、何一つない。

・・・いや、一つだけあるか。ただ一つだけ、最大の収穫。

エホバの証人から得た最大の教訓。人生を導くありがたい指針。これは我が子たちにも伝えたい。

「宗教はやるな」

これだけは自信を持って言える。エホバの証人から学んだ唯一の役立つ事項。

「神社や寺には、正月と人生の節目、あとは気の向いた時に行け」と。宗教を人生の最優先事項にするような、愚かな生き方はするなと。

エホバの証人って、距離を置いて見ると最高の反面教師。自身の生き方で、身をもって人生の落とし穴に対する警鐘を鳴らしている。

人はどのように騙され、搾取されるのか。そして、いかにして転落し社会に害をもたらすのか。さらに、思考を停止し惰性で生きる人間が、我に返り這い上がることがいかに困難かを。


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