狂信者アブラハムは現代のエホバの証人の姿
ネットでダウンロードできるエホバの証人解約資料を読んでいる。
第6弾「原理主義者の限界」より「どんだけ異教徒?」の項目。
旧約聖書中の人物たちは、現在の感覚で言うと相当にヤバい。まあそれは当然。神話の登場人物なので。日本の神話でも、かつての神々は荒ぶること甚だしい。ギリシャ神話も同様。聖書もただの神話。
具体例がこの資料で挙げられている。まずはアブラハム。エホバ「アブラハムさん~、息子をぶっ殺しなさーい」の記事でも書いたが、息子をガチで神に捧げようとしたアブラハムは悪魔崇拝者の変態野郎。
この場合の悪魔とは神エホバ。「息子の命を我に捧げよ」とか冗談でも言わないって。完全な悪魔。この場合、アブラハムとしては「いくら、神でも息子は捧げられません!」となるのが筋としては美しい。
逆に、
息子にナイフを立てようとしたアブラハムは狂信者。現在のエホバの証人の親の成れの果て。子を犠牲にして自らの信仰を守ろうとするエホバの証人。その盲信マインドコントロール状態が聖書の中にきっちり描写されている。
やりまくりソロモン
続いて賢王ソロモン。ソロモンには700人の妻と300人のそばめがいた。一夫多妻はダメーのキリスト教、エホバの証人はこれをどう説明するの?ダビデにも300人の妻がいたらしい。酒池肉林。
「ソロモンの歌」はソロモンが若い子を口説こうとして失敗した話。これが敬虔なエホバの証人に必要な書なのか?しかも失敗談だから、口説き例としては参考にならない。ダメなやり方として理解するしかない。
オッサンは若い子を口説こうとしちゃダメよ、という教訓が得られる。もしくはキモイ台詞で口説いちゃダメよ、という教訓か。それでいいのか?賢王ソロモン。
エホバの証人は異教を毛嫌いするが、異教とキリスト教はつながっていて、一概に否定することができない。また、聖書の記述をそのまま鵜呑みにして、現代人にあてはめることもできない。
それが犠牲を捧げようとしたアブラハム、酒池肉林を好んだソロモンの事例からわかること。
アブラハム、ソロモンは聖書中の好人物としてエホバの証人から見られているが、行動はとても見倣えたものではない。子どもにナイフを見せて恐怖のどん底に落としたり、第二婦人を抱えたり、現代の感覚とはズレが大きい。
この事実が、聖書原理主義、もといものみの塔原理主義のエホバの証人の警鐘となれば良いのだが。
※画像はWatch Tower(ものみの塔)発行の『My Book of Bible Stories』(3ドル)より。邦題『わたしの聖書物語の本』