山上裁判の判決と私の感想
安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件で、山上被告に無期懲役の判決言い渡し。判決では、旧統一教会との関係をめぐる被告の動機や生い立ちについても一定の検討がなされたが、その影響は「遠因に過ぎない」とされた。
それを受けて、私の判決直後の感想は以下。
オレたちの生い立ちなんか、誰も気にも留めてくれないんだよね。知ってたけど。
というか、世間様はきっとよほど辛い生い立ちをクリアしてきたんだろうね。想像できないのはお互い様。
だから、自ら切り開くしかない。#宗教2世#エホバの証人— 山羊男 (@jw2nd_com) January 22, 2026
“中立的”な意見
その後、見かけた全くニュートラルな立場な人の意見の要約が以下。
被告の家庭環境や宗教的な影響などの生い立ちについては「遠因に過ぎない」という判断。
しかし、この事件を契機として、旧統一教会による過度な献金要求や信者家庭に育つ宗教2世の苦悩、さらには宗教虐待といった問題が社会的に注目されるようになった点は良かった。
一方、教団に対する怒りや恨みには一定の理解はできるが、そこから安倍元首相の殺害に至ったことについては因果関係のない飛躍かと思う。
宗教被害にまだ理解があるほうなのかな。宗教にも政治にも無関係な立場で書くとこういうお利口な意見になるのかな・・・
ニュートラルな立場の自己矛盾
ひどいのになると、「統一教会の解散は間違っていて、テロリストに負けるな」みたいなことを言い出す。「信教の自由」マンセー派も存在するし、もっと安倍晋三に肩入れしまくっている奴もいる。
しかし、このニュートラルな意見、自己矛盾を抱えている。
安倍晋三を殺害したのは、因果関係のない飛躍に感じると言いつつ、ではなぜ、この事件をきっかけに宗教虐待の問題が注目されるに至ったのか?
それは、この事件と宗教被害が直結しているから、だから、ほんの少しだけ宗教虐待の問題が動いたり、統一教会に解散命令が出されたりしたんだよ。
「遠因」という判決の矛盾
なのに、なぜ、宗教の影響も含む被告の生い立ちについては「遠因に過ぎない」という判断がされたのか?
むしろ、被告本人とっては、宗教の影響が直接の要因であることに間違いない。
そして、それが山上被告の勝手な思い込みでも妄想でも、因果関係の欠如した飛躍でもなかったことの証拠が、「この事件をきっかけとして」宗教問題が動き出したこと。
だから、宗教の影響も含む被告の生い立ちについては「遠因に過ぎない」という判断は誤り。
無関心な”世間”と我々の立ち位置
こういった”ニュートラル”な連中は、宗教の問題から安倍晋三の問題からも目をそむける。対岸の火事なんだろうな。
ホントに常軌を逸した飛躍であったんなら、「この事件」をきっかけに宗教2世の問題が注目されることなんかなかった。
被告の恨みや安倍晋三を狙ったことが単なる逆恨みや妄想による因果のない飛躍だったのなら、宗教問題の表面にすらメスが入ることすらなく、異常者による単なる暗殺事件で終わっていた。
だから、安倍晋三はこの事件の背景にある統一教会問題と無関係ではないし、被告にいたっては、生い立ちとこの事件は真っすぐにぶっとく直結している。
それを理解しない世間は、対岸の火事には無興味・無関心・無知。それが世間というモノであり、こんなことを書いている私だって、私に無関係なマイノリティ問題に対しては、こういう罪深い世間と全く同じ立ち位置であったり、むしろ知らず知らず差別する側に回ってしまっている可能性すらある。
だから、こっち側の人間としては、闘い、努力していくしかないんだけど、その方法は様々で、真正面から闘う者もいれば、分かり合えるはずのない他人とも、いつか分かり合えるかも知れないという方向で努力をする者もいる。
そういった努力が、どうか間違った方向に進まないように願ってやまない。当事件における簡単な帰結すら見誤るような、そんな間違った方向に向かわないように。


