何の行動もしないヤツが評論してんじゃねぇよ
最近、メンドクサイのがSNS上で意見してくるので一喝。
エホバの証人の死の記念式(2025/4/12)。アルコール禁止の公共施設へエホバの証人が赤ワインを持ち込んでおり、それを理由に式を中止させてやろうという目論み。ここまでの記事。
こういうのはエホバの証人から見ると反対者の迫害と映る(良識ある市民が公共施設のルール違反を問題視してるだけなんだけど)。こういうのが、エホバの証人盲信者の信仰を余計に強めることになる、という言い方をされることがあるんだけど・・・
だからどうなの?
社会のために、エホバの証人なんか全員やめさせてやりたい。だから、余計に信仰が強まったら、困るは困る。
しかし、どうせ放っておいてもやめない頑迷な狂信者たちなんで、ちょっと間違った方向性で圧力をかけたところで、強まる信仰度なんかたかが知れてる。
というか、エホバの証人を脱会させるのに何が効くか分からないんで、いろいろ試してみれば良いわけで。
何の行動もしないヤツが評論してんじゃねぇよ
ってのが私の意見。
捏造されるエホバの証人に協力的な人の存在
まぁ、これがすべてのエホバの証人に対して赤の他人である私の意見なんだけど、家族がエホバの証人とかで、私のこういう行動で家族の信仰が強まっちゃって困る、みたいな意見があると、まぁもっともかと・・・それも違うな。
今、あなたは家族がエホバの証人で社会に害をもたらしているのを、放置してるんだろ?家族なのに。積極的に干渉することもせず。あぁ、積極的に干渉したら余計に信仰強まっちゃうんだっけ?
逆に、生暖かく接しているだけで、狂信が解けるほどエホバの証人は甘くない。この狂信者たちは、そんな賢さはとっくの昔に失っていて、自分たちに都合の良いようにしか現実を見れない。
だから、家族がエホバの証人なんだったから、徹底的に反対する立場をとらないと、盲信者目線だと協力的な家族になり下がることになる。
ご都合メガネで世界を見ているエホバの証人狂信者から見れば、積極的に反対しない家族はエホバの証人に協力的、好意的な家族と見られてしまう。
家族がエホバの証人に協力的だと思い込んでいる狂信者の信仰が、放っておいて解けるわけがない。
家族が狂信を続ける原因は・・・
だから、エホバの証人をやめて欲しいんだったら、どこまでも徹底的に反対するのが正解(家族にエホバの証人を続けて欲しい、と思ってるおバカな無責任野郎は論外)。
エホバの証人を続けるなら飯喰わせないとかで良いんだよ。相手が大人なら。自分で働いて飯食うか、働けないならエホバの証人やめれば良いんだから。
だから、オレの徹底的な行動がエホバの証人の狂信を若干強めることになろうが何だろうが、知ったこっちゃねぇっつーの。何の行動もしないどころか、むしろ、エホバの証人の色眼鏡で見たら協力的と見られている側の人間がとやかく言ってくんなっての。
自称「エホバの証人に対して中立で平衡的な態度をとっている」と思っている人たち。君たちは、エホバの証人から見れば、協力的でエホバの証人を良く思っている人たちになり下がる。
エホバの証人の狂信を助長してるんだよ。家族がエホバの証人をやめず、自分自身の人生を徹底的に損ない、社会に害を及ぼしているのは、お前の中途半端な態度が原因でもある。
家族に対してキツくあたるのが辛いのは分かるよ。だから、中途半端な態度になってしまうのは仕方ない。であれば、黙っとけ。自分の中途半端な態度を棚に上げ正当化するために、良い人の仮面を被って小賢しいふりして、意見してくんじゃねぇよ。