論点すり替えにご用心
現在、私はものみの塔聖書冊子協会と裁判中です。一審では敗訴しましたが、控訴審で逆転します。
裁判の内容は、「ものみの塔が不当に勧誘した寄付金を返せ」というモノ。ところが、ものみの塔側が私のブログ記事を大量に証拠資料として提出してきてます。
今日、取り上げるのは「乙35号証」、タイトルは「京都のエホバの証人、ウソをついた挙句に厳重注意を無視という暴挙」という私のブログ記事。
ものみの塔の不当寄附勧誘と、「京都のエホバの証人がウソつきな上に厳重注意を無視する輩だ」ってことが何か関係あるのでしょうか?
ものみの塔の証拠説明書から。立証趣旨は以下。
原告が、「まあ、京都市民ではないんだけど」と述べて、誤認をさせていることを認識しているにもかかわらず、あたかも京都市民であるかのように装って、「市民」と名乗ってクレーム電話を京都市の公共施設に行ったこと
※原告が私のこと
こういうのものみの塔は恥ずかしくないのでしょうか?私が何をしようと、京都のエホバの証人がウソをついて、厳重注意を無視した事実は消えないし、その罪が軽減されるモノでもないのに。
私みたいな一般市民が何をしようが、自分自身で責任をとるだけですが、かたや公益性の求められる宗教法人であり、社会的責任の重さが違います。
さらに、エホバの証人の教理的には、私みたいな反対者の権化みたいな人間が何をしようとすべて想定内でしょうが、対して、自称義の民「エホバの証人」がウソをついて厳重注意を無視したという事実。お~、恥ずかしい~。
「市民」と名乗ったら京都市民?
この乙35に関して、ものみの塔側の決めつけと誤誘導が甚だしく。私の人格を貶めることに躍起になっておるようです。そんなことより、自身の寄付勧誘が不当状態にないことを立証するべきなんですけどね。
以下「乙35」より。京都のエホバの証人の記念式がアルコール禁止の公共施設で行われたので干渉した件。
「市民としては、事前にぶどうジュースを使うっていう下らないウソをついていたのに、当日は普通にアルコールを持ち込んでいるということに不信感を覚えています」
まあ、京都市民ではないんだけど。日本国民としてエホバの証人の存在に危機感を覚えているので。
このくだりから、ものみの塔は
誤認をさせていることを認識しているにもかかわらず、あたかも京都市民であるかのように装って
と述べてます。
いやいや、私は京都市民を装ってないですから。「○○どす」とか「○○どすぇ」とか「そろそろお茶漬け要ります?」とか言ってないですから。これは冗談ですが、私は「京都市民として」とは言っておらず、「市民として」と市民感情を述べただけ。
電話の相手が私を京都市民だと誤認したかどうかも知りませんし、もしも私が京都市民でないと何か不都合があるならば、その確認をする必要は相手側にあるでしょう。
そもそも、京都市の公共施設にルール違反のクレームを入れるのは、京都市民にしか許されないのでしょうか?
そんなことないありませんよね。世界遺産京都の街をこよなく愛する者として、日本国民として、「大事な大事な公共施設がウソつきエホバの証人のルール違反で蹂躙されることが許せない」って人もおらはります。それが私なんですよ。


