一般文献が疑問視できるからって聖書が正しいとは限らない

一般文献と聖書の比較

エホバの証人の論理的アキレス腱BC607年エルサレム陥落。エホバの証人が持ち出してくるのが、ものみの塔の記事。盲信直下の本人の中でしか根拠にならないのだが、それが大問題でこの記事の信頼性を崩そうとしている。

『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部』。この結論部分。

聖書は,流刑期間が70年であったことをはっきり述べている。流刑の身であったユダヤ人は西暦前537年までに故国に帰還した,ということを示す強力な証拠があり,多くの学者がそのことを認めている。その年から逆算すると,エルサレムが滅んだ年は西暦前607年となる

この辺は下記の記事などで既に崩してある。

“for Babylon”バビロニア帝国のための70年。エホバの証人のBC607を崩す

ゼカリヤ君が遠ざけるエホバの証人だけが固執するエルサレム陥落BC607年

その年代は,古典史家たちの書いた物やプトレマイオスの王名表に基づく年代とは一致しないが,それら一般文献については正確さを疑問視すべき十分な理由がある。そうです,典拠とされているそれら2種類の史料に,聖書の年代記述を覆せるほどの確かさはないのです

こんなのでエホバの証人は「ははぁー」ってなって、人生賭けちゃうの?浅はかすぎるだろ。情弱すぎる。

一般文献を疑問視する理由があるからと言って、聖書が正しい根拠にはならない。

一般文献には疑問視する理由があるから聖書の記述を覆せないという、ものみの塔の乱暴な言い分が通るなら、「聖書に、古典史家たちの書いた物やプトレマイオスの王名表に基づく年代記述を覆せるほどの確かさはないのです」も通る。

聖書はただの読み物。間違ったことも多々書いてある。そんなモノで一般文献の証拠をひっくり返せるわけがない。

エホバの証人盲信者の思考状態

もうちょっとキチンと潰すなら、この記事参照。jwstudyのこの記事は完璧で、ものみの塔の主張を徹底的に崩してある。

上記の一般文献への疑問視も言いがかりにすぎなかったり、恣意的な取り扱われかたをしていたり。

というわけで、現役エホバの証人に対して、上記リンクを送付したことがあるのだが、その時の反応が次。

エホバの証人としては、ものみの塔の出版物にある根拠からしか提出できない

おいおい、すべてのことを確かめろよ。それ、ものみの塔が正しい前提に立ってて、そのお前の立ち位置が間違ってるんだよ。

もし607年である証拠を私から言えるとしたら、「聖書そのものから算出」する方法だけ。その点について反論もありましたが、私自身知識が少ないので、この点もより勉強して深めていきたい

勉強するもなにも、既に知識が深まったろ。反論が正しい可能性を排除して、反論を崩すための勉強をしようとしている。そうこうしているあいだに、忘れて無かったことにしてしまう。臭い物に蓋をするってやつ。


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