詩編22篇の予言は成就していない。エホバの証人の苦しい言いわけ

聖句が実現するための工作

昨日までの記事の続き。聖書の詩編22篇が予言としてキリストに成就していると一部主張されている件。

聖書の引用は、すべてエホバの証人版の新世界訳聖書から。

後世のキリストのほうの聖書の記述。

そこで彼らは互いに言った。「これは裂かないで,誰のものにするかをくじで決めよう」。これは次の聖句が実現するためだった。「彼らは私の服を分け合い,私の衣服のためにくじを引いた」。兵士たちはこの通りにしたのである
ヨハネ19:24

この書き方、正直で良い。

「聖句が実現するために、兵士たちがこの通りにした」。事前に言い含められていたので、または、金を渡されていたので、兵士たちがこの通りにしていたとしても、ウソにはならない。

こういった事前仕込みがあったと考えるほうが、予言が的中するより可能性が高い。

聖書予言、エホバの証人の神のラッパは誰にも聴こえない

エホバの証人の苦しい言いわけ

予言的中!って言うのなら

兵士たちは彼の外衣を取り,四つに分けて,各兵士にその一つずつとし,また内衣を[取った]。しかし,内衣は縫い目がなく,上からそっくり織ったものであった
ヨハネ1:23

もうちっと詳しく書いてくれないと。4人で分けたとか、くじを引いたのは内衣だったとか。

予言している側の

詩編22:18は

「彼らは私の服を分け合い,私の衣服のためにくじを引く」

こんなの何とでもなる。磔にする前に引っ剥がした服を誰もいないところでくじ引いていたとか。何とでも偽証できる。

兵士たちは,イエスを杭にくぎ付けにしてから,くじを引いてイエスの外衣を分配し
マタイ27:35

それから,イエスを杭にくぎ付けにし,イエスの外衣に関して,それぞれの取り分をくじで決め,分配した
マルコ15:24

ヨハネは内衣を裂かずにくじを引いたことになっているが、マタイ、マルコの記述では外衣を裂いてくじをひいたことになっている。食い違いが生じている。

そもそも聖書を書いたのがキリスト一派の直系の弟子なんだから、キリストに有利になるように記述する。さも、キリストがメシアであったように予言が成就しているように、事実無根でもでっち上げることは充分あり得る。

そのために口裏を合わせたつもりが、異なった記述になってしまった。この点のエホバの証人の言いわけは苦しい。

マタイ27:35の注釈によると

ローマの兵士は恐らく外衣と内衣の両方についてくじを引いた。外衣は「4つに分け,1人1つずつ手に入れた」が,内衣は分割したくなかったので,誰が取るかをくじで決めた

「恐らく外衣と内衣の両方についてくじを引いた」と。「恐らく」って推測かよ。そんなこじつけをすれば、どんな予言でも成就してしまう。

この逸話は、「恐らく」作り話で、キリストの弟子どもが口裏合わせようとしたけど、チームワーク悪くて失敗したパターン。


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