正しくない宗教たち
『みんなの宗教2世問題』2章『宗教2世・海外での最新研究状況』の 『4「宗教的トラウマ症候群」と「宗教的児童マルトリートメント」』より。
宗教は大きな個人的苦痛をもたらしうること、家族の分裂や社会関係の壊滅を引きおこしうることを専門家は直視しなければならない
旧統一教会に解散請求が出た。この流れで「現役信者の信教の自由が制限されないように・・・」という物言いがよくされている。
解散請求が出ている時点で、その宗教は一部の人にとって大きな個人的苦痛をもたらす宗教であり、家族を分裂させる宗教だった。さらには、社会関係の壊滅まで引き起こしうる宗教だったのかも知れない。
エホバの証人の場合は、大きな個人的苦痛をもたらす宗教であり、家族を分裂させる宗教であることは間違いない。私の個人的体験から間違いなくそうだと言えるし、この事例には事欠かない。
そして、エホバの証人信者が「最終戦争ハルマゲドン」を待ち望む時点で、社会関係を充分に壊滅させうる宗教。エホバの証人のハルマゲドンでは現体制は崩壊し、エホバの証人以外のほぼ全人類が絶滅する設定になっている。
誰かに個人的苦痛をもたらす時点で、それは間違った行為。家族に分裂をもたらすのも同じ。社会関係を壊滅させるのは当然、間違っている。つまり、そういった宗教は間違っており、正しくない。
「間違っている宗教」、つまり「正しくない宗教」に「信教の自由」は必要なのだろうか?
要らないだろう。そもそも、「正しくない宗教」は無くすべきもの。
人々に個人的苦痛をもたらし、家族を分裂させ、輸血拒否の教理で命をもてあそぶ。そんな「正しくない宗教」の存在を容認すべきではない。
だから、今回の旧統一教会への解散請求は当然のできごとであり、「正しくない宗教」が無くなっていくための過程にすぎない。
「正しくない宗教」には「No!」と
「正しくない宗教」は宗教でなく「妄想」とか「陰謀」とか「世迷言」、「幻想」、「幻覚」、「ダークファンタジー」の類。
相手にしなければいい。そう、マトモな人間は相手にしないのだが、そこは人間の不思議なところで、マトモな人でも騙されるときがある。人間には心弱るときがあり、魔が差すときがある。
一旦、騙されるとそのまま取り込まれてしまうので、外からの救出が必要になる。
外から見れば、騙されているのが一目瞭然なのに、それを放置してきたのが「信教の自由」の壁。「正しくない」各教団は、「信教の自由」を濫用し、信者をひどい目に合わせてきた。
宗教弾圧や魔女狩りの愚かさを知ってるつもりの現代人は、どんなにバカげた宗教であっても、「信教の自由」があると認めたがる。
しかし、「正しくない宗教」は「幻覚」と同じ。そんなモノに取りつかれていれば、助けてやるのが成熟した社会の役目。
今回の「解散請求」と「魔女狩り」は全く違う次元のモノ。
外のマトモな人間が、「正しくない宗教」に囚われている人を助けるといっても、個人の心の中までは干渉できない。思考や考え方の矯正はできない。これは当然。
よって、周りのマトモな側の人間は、毅然と「間違っている」、「正しくない」と、伝えなければならない。「No!」と言わねばならない。
今回の「解散請求」がその一歩目。マトモな側が「正しくない側」に「No!」を突き付けた。
「No!」と言わずに、「信教の自由」という極薄の表面的な言葉でごまかすのは思考放棄。
マトモな側にいたいのなら、その宗教が「正しい」のか?「正しくない」のか?せめて、個人を傷つけない宗教なのか?それを考え決断しなければならない。「正しい」か「正しくない」のか決断できないのなら、黙っていればいい。
考えるのを放棄し、「信教の自由がー」と言うだけなら、「正しくない」宗教が個人を傷つけるのに同調しているのとかわらない。