※街頭で布教中のエホバの証人の顔写真をSNSで晒す件

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはあり?

街頭でカート布教中のエホバの証人の顔出し写真がSNSなどに投稿される件。

肖像権だとか個人情報保護だとか、晒されて可哀想という感情論、晒されているのが身内だと目も当てられない、不愉快なので見たくない、と言った諸々の理由で顔出しはNGかと思っていたのだが・・・。

ふと、別に良いのかもと思ったり。というわけで考えてみた。

顔を晒されるのが嫌だと言うのなら、公共の場に立つのを止めれば良い。それでも立ちたいのならお面でも被ればいい。自ら顔面オープンにしてるんだし、それを晒されたところでという話。法律的にはクリアなのかも。

逆に言うと駅前の写真を撮って、アップしたい人とかもいるわけで、勝手に堂々と写り込んでいる方が悪い。というか邪魔。演説中の政治家の顔写真にモザイクかけたりしないよね。

そもそも、そのエホバの証人活動が有害なんだっての。糾弾されてしかるべき。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはNG?

とは言うものの、

街頭に立っているエホバの証人自身も騙されている被害者。彼らが悔い改めてエホバの証人をやめた時、全世界に自分の街宣罰ゲームの写真が晒されているのはよろしくない。誰にでも消したい黒歴史がある。

というわけで、結論としてはやっぱり「ふさわしく」ない。

そこら中で撮りまくってアップしまくったら、エホバの証人組織に大ダメージ加えられるかとも思ったのだが、それも無意味よね。

多分、信者個人としては盲信を強めるだけ。「迫害されているぅっ。うふっ」となるだけ。

「街頭でカートに並んで立ったら顔を晒される」と信者が自覚して、カート布教者が減るという可能性も考えた。ところが、カート布教自体の信者勧誘効果が薄そうというかほぼゼロだろうから、これもあまり意味がない。

カート布教そのものは「変な奴らが立っている」「ヤバい宗教だ」と世間の認識を高める逆宣伝効果の方が高い。目障りで不愉快なエホバの証人のカート布教だが、生暖かく放置しておく方がいい。

顔写真を全世界に晒してしまうと、何より、信者個人が悔い改めてエホバの証人をやめたときに悪影響が出る。これは圧倒的に不遇。

なので、やはりエホバの証人のカート布教の顔写真を晒すのはやめましょう。

こんなにもエホバの証人を嫌ってるのに、信者たちの改心後のことにまで心を痛めている超背教者がいる。ここに。その事実に心を動かされて欲しい。現役信者の人。会衆内にこんなに愛の溢れた隣人がいますか?

現役エホバの証人の会衆内隣人なんて、排斥されたらプイっとなる、そこまでの関係。オレなんか、エホバの証人が大っ嫌いなのに、そのエホバの証人たちが脱会した後の心配までしてるんだよ。脱会すれば一般人だから。この愛情に心動かない?

無理かな。そんなエモい感情残ってないよね。エホいんだけどね。


“※街頭で布教中のエホバの証人の顔写真をSNSで晒す件” への2件の返信

  1. 公共エリア伝道をしている
    兄弟姉妹たちへの迷惑や妨害活動は
    しないでください!

  2. エホバの証人の兄弟姉妹は添削してくんないのかな?その日本語レベルじゃ伝道なんてできねぇだろ。「公共エリア伝道をしている兄弟姉妹たちへの迷惑”行為”や妨害活動はしないでください!」だな。
    顔写真晒される覚悟無いなら、街頭に立つなっての。
    読解力ないのか知らんけど、「エホバの証人という黒歴史をデジタルタトゥー化することになるから、顔写真晒すのは見逃してやったほうがいいよ」という文意なんだけどね。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください