元JW、自分の判断を正せないのは危険
昨日の記事で書いたカルトから完全脱却できていない元JW氏のブログ。ブログ主は、自分は常に正しい。自分だけは判断を誤らない。自分が最も賢いと思っている。ゆえにカルトの餌食になる。隙だらけなので。
エホバの証人内でも浮くパターンの人。私の子供の頃にも、似たようなエホバの証人の信者がいた。頭が良いのか悪いのか、それとも単にこだわりが強いのか、しかも枝葉末節に。そして、人の意見を全く聞き入れない。
エホバの証人に染まらず、逆にスゲー奴かなと思ったこともあったけど。それならば最初っからエホバの証人に一切関わらないのが、正解。
結局、居場所を必要としていて、その性格ゆえになかなか世間じゃ認められないものだから、来るもの拒まずのエホバの証人組織に流れ着いた。
そして、自分の選択だけは常に正しいと盲信しているので、エホバの証人に関わったのが過ちとは思えない。悪いのはエホバの証人組織内の人間なんだとなる。
汚れた人間が禍々しいエホバを生みだした
このブログ主はエホバの証人という宗教活動そのものがカルトであるとは認識していない。悪いのは自分より愚かな統治体やエホバの証人個々人の信者だと。聖書や神エホバは間違いなく清いと考えている。
「聖なるものから汚れた統治体やエホバの証人たちが出てきた」と考えている。ならば、すぐに浄められて然るべきなのだが。かつての自分のJW入信という判断を覆すことになるので、「汚れた人間が禍々しいエホバを生んだ」という、単純かつ最も適切な正答を認知できない。
この不幸なブログ主さんを自戒としたい。反エホバが私の宗教観となっているので、エホバ的なものは一切を認めない傾向が私にはある。このブログ作者同様に、固定観念の虜とならないように。
時には、そもそもの反エホバすら疑う。すると、神としての仮称エホバ的なものの存在は許容できるかとも考えられる。神として存在しちゃっているのなら、仕方がない。
邪が生み出した邪悪な神なのか、全く人違いのユダヤ・キリストの神なのか。とにかく、日本人のおいらに不必要に干渉しないでねと。
すると、私の取るべき立場は正確には反ものみの塔となる。こういった柔軟さを持ち、常に自身を省み、進行方向を見極める姿勢でいたい。
でないと、個々人のエホバの証人を攻撃するという不毛の領域に陥ってしまう。個々人のエホバの証人が往々にして非常に不愉快極まりないのは事実であるとしても、諸悪の根源はものみの塔。
成すべきは、個々人のエホバの証人の不適切な行動を啓蒙し、その根であるものみの塔を断つこと。