ものみの塔裁判:ものみの塔側の意見書を公開、宗教的詭弁の構造を読む

ものみの塔の意見書を公開

ものみの塔と裁判をしている件。現在地は、控訴審で私が敗訴したところ。最高裁に上告しているのだが、一旦、時をさかのぼって控訴審のときの話。

私が提出した文書提出命令申立書に対するものみの塔側の意見書をを公開。おそらく、期間限定公開になるかと。批評目的の抜粋引用だが、内容の詳細な評価は後日AIにて。

※本記事の引用部分は、批評・検証を目的とした引用であり、個人情報部分は削除しています。

第1 意見の趣旨

本申立ては却下されるのが相当である。

 

第2 意見の理由

1 必要性がない(民訴法223条1項、181条1項)
(1)控訴人は被控訴人が文化庁に提出した(1)財産目録、(2)収支計算書、(3)貸借対照表といった財務関連書類(以下、本件文書という。)の提出を求めている。

(2)そして、それによって証明すべき事実は、

・寄附金が海外の児童性虐待裁判費用に流用されていたこと

・寄附者に対する説明責任が果たされていないこと

・被控訴人の寄附運用の不当性、非透明性

・被控訴人が不当寄附勧誘防止法に違反していたこと

とする。

(3)しかしながら、控訴人は「本件寄附が、不当寄附勧誘防止法に反する被告の違法な勧誘によるもの」であることを立証しなければならない(原判決10頁2項争点2)のである。本件書類は、その性質上、被控訴人がどのような勧誘を行ったかを示す書類ではありえず、控訴人が立証すべきこととは何ら関連がなく、取り調べる必要性がない。

(4)そもそも、控訴人が行った行政文書開示請求書(甲19)に基づく開示書類(甲20)がそれぞれ1頁であることから明らかな通り、本件文書は寄附の用途を詳細に記すものではないから、控訴人の主張を裏付けるようなものにはなり得ない。

(5)控訴人は、本申立てにより、本件訴訟の帰趨とは無関係な情報を入手しようと証拠漁りをしているに過ぎず、本件文書を取り調べる必要性はない。

2 引用文書に当たらない(民訴法220条1号)

同号が提出義務を定めたのは、当事者が当該文書の存在及び内容を引用しながら提出しないことが、訴訟手続における信義則に反し公平性を害するからである。したがって、「訴訟において引用した」とは、当該文書の存在及び内容を引用したことをいう(大阪地決昭和61年5月28日判時1209号16頁、大阪高決平成23年1月20日判時2113号107頁等)。本件においては、被控訴人は、当該文書の存在に言及したに過ぎず、その内容を引用したわけではないから、引用文書に該当することはない。

3 引渡し・閲覧文書に該当しない(民訴法220条2号)

控訴人は、被控訴人に対し、当該文書の引渡し又は閲覧を求めることはできない。控訴人の請求は、宗教法人法25条3項の要件を満たさないからである。

すなわち、控訴人は、被控訴人の信者でないし、それに準ずる利害関係もないから、「信者その他の利害関係人」には該当しない。

また、控訴人は、正当な権利行使ではなく、被控訴人に対する悪質な嫌がらせの一環として本件寄附を行い、あろうことか被控訴人に欺かれたなどと虚言を弄して本件訴訟を提起したものである。よって、訴訟の当事者であるとしても、書類の閲覧請求についての法律上の「正当な利益」はない。

さらに、控訴人が被控訴人に対して悪質な嫌がらせ行為を執拗に繰り返してきたことからすれば、控訴人には被控訴人を誹謗中傷する目的、被控訴人の権利・利益を侵害したり、その活動や業務の遂行を妨害したりする目的で閲覧請求を行っているというべきであるから、「不当な目的によるものではない」という要件を満たさない。

4 利益文書・法律関係文書に該当しない(民訴法220条3号)

当該文書は、控訴人の利益のために作成された文書でも、控訴人と被控訴人との間の法律関係について作成された文書でもない。

5 結論

以上の理由により、本申立ては却下されるのが相当である。

以上

法律論はともかく、それ以外はいつもの詭弁とこちらの行為を嫌がらせと断定するいつもの独善な態度。

控訴人は、被控訴人の信者でないし、それに準ずる利害関係もないから、「信者その他の利害関係人」には該当しない。

また、控訴人は、正当な権利行使ではなく、被控訴人に対する悪質な嫌がらせの一環として本件寄附を行い、あろうことか被控訴人に欺かれたなどと虚言を弄して本件訴訟を提起したものである

この部分、ものみの塔の言葉を使ってお返しすると

控訴人は、被控訴人の信仰体系のもとで信者であることを強要され、 その結果、宗教的支配構造に起因する社会的被害を受けた「被害者」に該当する。

また、被控訴人は、控訴人に対する悪質な宗教虐待の一環として、 信仰を口実にした人権侵害を繰り返し、 その過程で控訴人の生命の安全すら脅かしたものである。

したがって、被控訴人の主張する「嫌がらせ」なる表現は、 むしろ宗教的加害構造の自己防衛的レトリックにすぎず、 本件の本質は「信仰を装った支配と被害」の構造にある。

この意見書に対するもうちっと論理的な反論は文書で裁判所にも出しているので、その内容は後日。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください