ものみの塔裁判――上告の受理を待っている間に「勝利宣言」!

現在の裁判状況

ものみの塔と裁判をしている件。控訴審では私が敗訴し、現在は上告中。
上告が受理されるのを待っているところ。

私としては、控訴審の高裁判決の論理的飛躍が著しいので、受理されて当然だと考えているんだけど、現実的には上告受理率は約1%程度。このまま、私の負けが確定してしまうシナリオも十分あり得る。

今日の記事、実際に私の負けが確定してからだと、負け犬の遠吠えに映ってしまいかねないので、事前に、負けが確定する前に・・・勝利宣言します!

高裁が認めた合理的疑念

高裁判決の全文は追って限定的に公開するつもりなんだけど、高裁は、私のものみの塔の寄附に関する「疑念」を“荒唐無稽”ではなく、事実に基づく合理的疑念として認定した

私がものみの塔に対し、

当初から寄附の使途について疑念を抱いていたから、寄附金の使途や使用主体等を誤認したが故に本件寄附を行ったものとは認めることができない

と判事している。

ここが決定的。

普通、宗教団体側はこう主張する:

  • 「疑念は私の思い込み」

  • 「ネット情報に影響された誤解」

  • 「合理性がない」

しかし本件では違う。

✔ 高裁自身が

私の疑念は客観的事実に基づく合理的疑念であると認定した。だって、寄附金の使途に対する疑念を根拠に、使途を誤認していないと判決しているんだから。疑念は正しかったってことなんでしょ。

高裁が認定した事実

  • 海外裁判での敗訴

  • 多額の賠償責任

  • 寄附金の海外送金

  • 使用主体が統治体

  • 使途不透明性

これらを高裁が“事実として”認めた。その結果、ものみの塔の寄附制度の構造的欠陥が司法判断で可視化された。

これは極めて異例。

◆ その結果、逆説的に何が起きたか?

寄附前にさかのぼって、エホバの証人の寄附制度のほつれがあぶり出された。

つまり:

  • 実際の使途は統治体が決定

  • 海外裁判費用に流用される蓋然性

  • 使途の透明性ゼロ

  • 信者は説明を信じて寄附している

  • しかし実態は説明と異なる

これらが高裁の認定によって逆に浮き彫りになった

私の疑念が合理的であると認定された瞬間、寄附制度の構造的欠陥が司法判断で可視化された

高裁の判断の崩壊

高裁は以下のように認定している:

  • 私の疑念は合理的

  • 疑念は寄附制度の不透明性に起因

  • しかし誤認は否定

という論理矛盾をやらかした。

本来ならこうなるべき:

✔ 疑念が合理的→ 説明義務が発生 → 宗教団体は反論・説明すべき → 説明しなければ誤認成立

しかし高裁は説明義務の発生を判断していない。

ものみの塔の反論がないことを看過し、説明欠如の法的効果を判断せず、結論だけ「誤認なし」とした。

これは誤認判断の核心部分の判断遺脱(理由不備)

本件の構造

本件はこういう構造になっている

① 高裁が私の疑念を合理的と認定

② その合理的疑念は寄附制度の不透明性に起因

③ つまり寄附制度の欠陥が司法判断で露呈

④ 本来は説明義務が発生する

⑤ 宗教団体は反論していない

⑥ 説明欠如=誤認成立

⑦ しかし高裁は誤認を否定

⑧ 誤認の判断枠組みが破綻

⑨ 最高裁が統一判断を示す必要性が極めて高い

この①〜⑨ の流れが、本件の「最高裁案件としての本質」。

勝利宣言

以下、結論。

高裁が私の疑念を荒唐無稽でなく、事実に基づく合理的な疑念として扱い、判決根拠にしてしまったために、逆説的に寄附前にさかのぼって、エホバの証人の寄附制度のほつれがあぶり出された。つまり、

この裁判、最高裁が受理しようがしまいが、ものみの塔の寄附制度の違法性を示す事実を高裁が認定したという事実は動かない。高裁が私の疑念を「合理的」と認定した瞬間、ものみの塔の寄附制度の構造的欠陥が司法判断で露呈した。実質的に、寄附制度の違法性を高裁が認定したに等しい。

これが私の勝利宣言の理由。私が寄附した1,000円が返ってこようがこまいが関係ない。司法がものみの塔の寄附制度の欠陥を認定した時点で、社会的勝利はすでに確定している。


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