「多く」ってなんだよ?ウソをつくな
エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。昨日の記事の続き。
エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。
「VAT4956」という天文学関係の粘土板からエルサレム陥落BC607年をでっち上げようとしている。
VAT 4956の天文学的データの多くは,ネブカドネザル2世の第37年が西暦前588年であることを示しています
多くじゃねぇって。
「VAT4956」には、月、惑星、日の出入りと月の出入りの記載があったのに、ものみの塔は月だけを取り上げている。決して多くじゃない。月、惑星、月と日の出入りのうちのたった一つ「月」だけ。
VAT4956には、
月や惑星が様々な恒星や星座とどんな位置関係にあったかを示す詳細な描写がなされています。また,月食が1回あったことも記されています。学者たちによれば,それらすべての位置関係は西暦前568/567年のものであり,ネブカドネザル2世がエルサレムを滅ぼした,その治世の第18年は,西暦前587年ということになります
まともな学者たちによると、すべてが一致している。
この段階で、ものみの塔の出る幕はないんだけど、唯一BC607年の根拠とした「月」も「とある研究者」のでっち上げだからね。これは昨日の記事にて。
ニサン9日の月の位置って・・・何?
記事内の最後のほうにややこしい月の記述が出てくるのだが、これも「とある研究者」によるモノ。信用に値しない。
しかし、念のためキッチリ潰しておくことにする。エホバの証人の場合、こういう細部にこだわって、あとは雰囲気で盲信状態にある。潰せるモノは潰し切ってしまいたい。
VAT4956の13ある月の記述のうちのひとつ。ニサン9日の月の位置がBC607仕様だと完全一致するが、一般的なエルサレム陥落BC587年パターンだと当てはまらないというエホバの証人の主張。
ここからはさすがに調べないと分からないので、おなじみのjwstudy様のヘルプ。こちらの記事を参考にさせて頂いた。
ニサン9日の月の位置については、微妙なのだがこれをものみの塔の言うとおり、BC607年仕様で一旦一致しているとする。一般のBC587年パターンだと1日後ろにズラしてニサン8日にすれば一致。
これをものみの塔は
1915年にノイゲバウアとワイドナーは,西暦前568年(エルサレムの滅びを西暦前587年とする年)に関して,「月がこの星の1キュビト前方にあったのはニサン8日であって,ニサン9日ではない」と書いている
とあり、続く部分でこの2人の研究者がニサン9日の記述を8日に恣意的に改変したかのように書いている。
これは、単に粘土板のほうが間違っているだけなのかも知れないが、塔記事内では、この2人の研究者がBC587年パターンに寄せるために恣意的な改変を行った、という印象を抱かせる書き方になっている。
一方,粘土板の記述と月の位置がぴったり一致するのは,西暦前588年のニサン9日であり,この場合,エルサレムが滅ぼされたのは西暦前607年となる
そして、ニサン9日が絶対的に正しいように読者を誘導している。単にオリジナルの粘土板が1日間違えただけなのかも知れないのに。
ここまでだと、ものみの塔有意に思われるのだが、忘れちゃいけない。月の記述は13をあることを。
明日に続きます。
“BC607年エルサレム陥落を潰す。ニサン9日の月の位置って何?” への1件の返信