生まれて最初の記憶

最初で最後のバースデー

私が生まれたのは1980年である。両親の長男として普通の家庭で育てられるはずだった。しかし両親がものみの塔協会という新興宗教に献身(完全に入信してしまうようなもの)してしまうという不運に見舞われ過酷な前半生を送ることになった。

私は生まれながらにしてエホバの証人(ものみの塔協会の信者のこと)の2世(親がエホバの証人である子供)として育てられたと思い込んでいた。しかし最近発見した私が生まれた年のアルバムにはケーキにロウソクを立てて私の1歳の誕生日を祝っている家族の姿が写っていた。

ものみの塔協会は誕生日を祝うことを禁止しているので、私が1歳のときには両親はまだエホバの証人では無かったことになる。この前後の私が物心つく前に不幸の伝道者が我が家を訪れ両親をものみの塔協会に入信させてしまったのである。

この頃住んでいたのは名古屋市に近い街で都会の田舎という雰囲気のある場所だった。名古屋の市街地までは車ですぐだが自宅の周辺には大きな川があり田畑があり公園もある。コンビニやスーパーマーケットも家からすぐの場所にあるという住みやすい郊外都市だった。

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無駄死にのエホバの証人

エホバの証人の無駄死に

手元に2018年11月6日付けの新聞がある。

宣教活動の邦人女性殺害

という記事が載っている。中米グアテマラのペテン県で現地在住日本女性2人の家に何者かが押し入り1人殺害、1人重傷とのこと。2人ともエホバの証人の信者で現地で宣教活動を行っていたとある。何と26才と28才の女性である。無駄死にも良い所である。

地球の裏側まで行ってわざわざ押しつけがましいカルトの宣教をするなんて人生の無駄遣い、あげくに殺されて全てを失うとは言葉も出ない。周囲の信者は復活するからと慰めあうだろうが、そんなことないから。人間が復活する訳ないから。そんな一か八かの博打を一回きりの人生で打っちゃだめだから。ジャスト生涯、この一生が全て、残せるのは何らかの意志と財産、借金ぐらい。

若いエホバの証人へ

今でも私は街頭で立って伝道しているエホバの証人を見ると、同じことをやらされていた過去の自分の恥の歴史を思いだす。そんな中にまだ若い信者が混じっているのを見ると何とも勿体ないという気持ちになる。二十歳ぐらいを超えて自分でものみの塔協会という偽善団体に見切りをつけられないのは本人の責任と言えなくもないのだが、エホバの証人2世として小さな頃から育てられるとそんな判断能力も失ってしまいかねない。この世の中はもっと楽しいことや下らないことや辛い現実が山ほどあるのに、取り返しのつかない若い時、今この時、これは二度と戻らないのに、虚構の空間、王国会館に何故通い続けてしまうのか。そのままだと本当に無駄死にである。


家族の明日を考える

家族の明日を考える

週末や夕方の駅前で大きなボードを置いて『ものみの塔』や『目ざめよ!』だかの出版物を持って立っているエホバの証人を見るとゾッとする。思わず恥ずかしくなって目を背けてしまう。過去の自分を見ているかのような気がするからだ。

ああやって街頭に立ったり、家から家へと不毛に呼び鈴を押して歩いていたのがもう20年も前のことなのだが、未だにこの傷は癒えない。自分から街頭に立っているエホバの証人に話しかけて「オレ背教者なんだけど、このブログちょっと見て下さい」とやれるくらいに私も図々しいと良いのだがそうもいかない。

ちょっと前に駅前で見たのが『家族の明日を考える』というような立て看板の横で立っている年老いたエホバの証人たちだった。「お前の家族の明日を考えろ」と言ってやりたい所だが目を合わせないようにして立ち去る。どうせ息子娘たちはエホバの証人を止めて疎遠、絶縁状態になっているのだ。孫の顔も見れないのだろう。

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エホバの証人2世の悪夢

エホバの証人2世の願い

私は生まれながらのエホバの証人2世だった。14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。もう集会に行かないと告げた14歳の夜以来、異常に熱心なエホバの証人だった両親と心を割って話したことはない。そしてこの日から既に23年という月日が経過した。それにも関わらず未だにものみの塔協会に関わる悪夢で目覚めることがある。

今朝もそうだった。設定は毎回微妙に違うのだがだいたいは私がエホバの証人をやめると両親に告げるまさにその瞬間である。エホバの証人をやめたいとは小学校の高学年の頃から考え始めていた。それをやっと実行できたのが中学2年生の秋だった。エホバの証人をやめる、集会にも伝道活動にも二度と行かないと決めてからなかなかそれを両親に言い出せなかった。この頃は本当に辛かった。

嫌々ながら伝道活動で見知らぬ家の呼び鈴を鳴らし、仕方なく王国会館に通い続けた。最悪な日には王国会館で壇上に立って”割り当て”られた朗読と講演の真似事をしなければならなかった。無為に若い限りある時間を浪費しているという実感があった。

しかも私はハルマゲドンが近いうちに必ず勃発するというマインドコントロール化にあったので時間に関しては異常にシビアな感覚を持っていた。私に残された時間は尋常でなく少ないと思っていた。ハルマゲドンが勃発し”この世の事物の体制”と私自身が葬り去られるまでに何とかエホバの証人をやめ、今この瞬間を自分の願いそのままに生きたいと思っていた。自分の願い通りに生きたことなど生まれながらのエホバの証人2世だった私には無かったからである。

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現役エホバの証人に伝えたい人生の真理

エホバの証人2世が負った傷の深さ

二度目のお問い合わせを頂いた件の続きです。私と同じような境遇で同じような時期にエホバの証人組織と決別されたという方でした。日本中にこんな我々同様の無垢のエホバの証人2世の被害者が何万人もいると思うと何とかしなければという気持ちになります。

この方のメッセージの中に15歳以下でやめると比較的傷は浅いですよねという言葉がありました。私は自分の傷はとても深く既に取返しのつかない完治することはないものだと思っていましたので何となく初めて聞く意見のように感じました。

私の家族はものみの塔協会を原因として崩壊しました。物理的に負った傷は小さくはありません。精神的な傷はどうなのかはっきりとは分かりません。私のひねくれた性格や気の短い所、それら全てがものみの塔協会のせいなのかと言えばもはやこのカルトとの決別から20年以上が経っているので一概に全てをものみの塔協会のせいには出来ません。

10年ほど前までは天から降る火で身を焼き尽くされる夢を見る夜がありました。今でもものみの塔協会の勧誘のために見知らぬ家の呼び鈴を鳴らさせられる夢を見ることがあります。エホバの証人をやめきれていないという設定の夢です。このレベルの傷が深いのか浅いのかという話です。

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エホバの証人2世の高校デビュー

エホバの証人2世の高校デビュー

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。14歳のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。私がエホバの証人をやめる中学生までの友達というのは現在の私には一切存在しない。エホバの証人2世だったという暗く辛い過去を思い出すのでその頃のクラスメイトの顔など今でも見たくないのである。

中学生までのクラスメイトには私が変わり者のエホバの証人2世であるということが十二分に知れ渡っている。学校の給食の合掌のときには手を合わせないしクリスマス会にも参加しない。週末になると妙にかしこまった格好をしてボランティア活動と称して家にやって来る。ものみの塔協会の勧誘活動のためである。私は随分と危険な奴だと認識されていた。自ずと中学校以前の同級生との交流は廃れていった。

私にとって幸運だったのは家からだいぶ離れた高校へと進学したことである。いわゆる高校デビューである。エホバの証人2世ではない新しい自分として高校生活を始めたのだった。そしてさらなる幸運なことは30歳を超えた今でも交流がある友人たちとこの高校時代に出会えたことである。

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エホバの証人2世のできなかったこと

エホバの証人2世の幼なじみ

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。幼稚園や保育園といった幼児教育は一切受けず幼い頃から母親によってものみの塔協会の勧誘活動に連れ回される日々だった。幼なじみと言えば同じ境遇のエホバの証人2世だけである。その中でも一番仲の良かったのはジュン君というエホバの証人2世の子供だった。

私は小学校4年生のときに田舎に引っ越しているのでエホバの証人2世の幼なじみもいなくなってしまった。しかし引っ越した後でも同じエホバの証人組織に属していたのでジュン君を始めとする以前のエホバの証人の会衆の近況は何となく伝わってきていた。そして時が経過し私は14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。ジュン君も同じような時期にエホバの証人をやめたようである。

ジュン君と私の2人で協力してエホバの証人組織を抜ける相談をして手はずを整えるという選択肢もあった。しかしそのタッグを組むには我々は物理的に距離が離れ過ぎていた。私の家庭は両親がともにものみの塔協会に献身していて父親は会衆内でも長老という重要なポジションに着いていた。母親も熱心な正規開拓奉仕者だった。対してジュン君の家は父親がエホバの証人に対しては協力的ではあるもののバプテスマまでは受けていないという状態で家庭環境も異なっていた。

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根幹がエホバという虚しさ

エホバの証人2世のレク

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親ともに熱心なエホバの証人で子供の頃から厳格なものみの塔協会の教義を適用されて育てられた。ちょっと遊びに外に出かけたいと言っても今日はエホバの証人の集会があるからダメ、一緒に遊びに行く友達がエホバの証人にとって”ふさわしくない”場合はNGとなる。

このふさわしい、ふさわしくないは親の主観である。近所で札付きのワルとかになるとエホバの証人的には絶対にNGである。エホバの証人の子供は”模範的”でなければならないと育てられるので、ものみの塔協会の規範だけでなく世間的に見てもお利口でなければならないのである。エホバの証人は自分たちの組織に属していない人々をこの世”の人々と、蔑み憐れんでいる。その”この世”の規範に外れているなんてエホバの証人的には有り得ないのである。

私はエホバの証人2世としてちょっと外へ遊びに出るにも制限のある子供時代を過ごした。半年に1回の野外集会、たまにある奉仕活動のあとのリクリエーションが公式に遊ぶことが許される機会だった。1980年代のエホバの証人は何故か遊興のことをリクリエーションだとかレクリエーションという呼び方をしていた。現在でもそうなのだろうか。起源がアメリカ合衆国にある新興宗教だからだろう。英語の出版物をよく考えずに訳しているのでこんな不自然なことになるのである。

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エホバの証人の父親の暴力

エホバの証人の父親の暴力

私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親ともに熱心なエホバの証人で子供の頃から厳格なものみの塔協会の教義を押し付けられて成長した。父親はエホバの証人の会衆の長老だったが私は何度か物を投げつけられたことがあった。小学生の高学年から中学生2年生で私がエホバの証人をやめるまでの頃の話である。

まさか本当にぶつけようとして投げつけてきた訳ではないのだろうが私の顔のすぐ真横をかすめていった固い物体が部屋の壁に大きな穴を開けたことがあった。私が避けずにいれば怪我は免れなかった。原因は私が父親の言うことに反抗したからである。

まずエホバの証人とは関係ないところで行われる行事に参加したいと私が言い出す。学校の行事以外で地区の子供会などで行われるキャンプや日帰り旅行などである。それを父親はダメだと言う。

私もまさか地元の祭りに参加したいなどとは言い出さない。他宗教の行事であるため祭礼への参加や神社への参拝などはエホバの証人にとっては禁止事項であるからだ。私が小学校に入る前のことである。同じアパートに住んでいた同じ年頃のトシ君が青い祭りのハッピを着て私をお祭りの屋台に誘いに来る。私が家を出ようとすると祭りの屋台に行くと知った母親が「絶対にダメ」だと言い出す。泣く泣くトシくんに行けないと告げ自宅でしょぼんとしていたものである。

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不完全な真理は真理ではない

楽園には入りたくないエホバの証人2

私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14歳で自分の意志でエホバの証人をやめる。苦心の末やっとエホバの証人をやめるという決意を両親に告げた。しかし集会のために王国会館へ行く時間になったとき両親に対して

「もう集会に行かない」と言うのがやっとだった。

その日の集会から帰ってきた両親によって私の事情聴取が始まった。いったいどういうつもりでもう集会に行かないというのか?ということである。両親はこれ以前からの私の集会や伝道活動への身の入らなさからある程度はこういった事態を想定していたはずである。

この頃の私は常にエホバの証人をやめるということを考えていて理論武装を固めていた。私の人生の意味はエホバの証人が求めるものとは違う。ハルマゲドンまでの限られた命で構わないから二度と繰り返されることのない現在、今を思い通りに生きたいということを両親に話した。両親と一緒に楽園で永遠の命を享受したいとは思わないとはっきり告げた。

さらにこの頃にはものみの塔協会の教義の矛盾にも私は気付いていた。この晩の事情聴取で背教じみたことも両親に対して口にしていた。批判的に公開講演を聞いたりものみの塔協会の出版物を読んだりすると突っ込み所はどれだけでも出てくる。まさしく完全、完璧な真理では無いということが見えてくる。

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