エホバの証人の王国会館は、均一な2世ロボット製造所
初めて日本語でお問い合わせを頂きました。こんな拙いブログでも誰かに読んで頂けているということが励みになります。ありがとうございます。
私自身、いまだにエホバの証人2世という自分の過去とどう向き合っていくのか、定まっていない部分があります。批判的な意見も受け止めていかなければと思っていますので、ご意見、お問い合わせなど大歓迎です。
さて、今回お問い合わせを頂いたのは、おそらく私と同年代の元エホバの証人2世の方です。多分、女性の方で20代はじめに排斥されたとのことです。
このブログを読んで、自分自身も同じだったと共感できる点が多かったとのこと。これは、私も過去に元エホバの証人2世のブログを見ていて感じたのと同じです。
いかにものみの塔の洗脳が恐ろしいかということです。子どもの頃、同時代に全く別の場所のエホバの証人の王国会館に通い続けただけで、同じような体験をして、同じような思考を持つようになります。
個性を失い、ロボットのような均一なエホバの証人2世になってしまうということです。
なぜ、今さらものみの塔に汚された過去を晒すのか
今回メッセージを頂いたのは、「なぜ、今さらこのようなブログを書き出したのか」ということでした。
私は、エホバの証人をやめて既に20年以上経っています。エホバの証人2世として禁欲的な生活を強制されていたのは、14才になるまでの間でした。私の人生の中では、エホバの証人をやめてからの期間の方が既に長いのです。
最近思うのは、このブログのように、
ものみの塔に汚染された過去について書くというのは、そんなに悪いことではない、ということです。自分の過去を見つめることは、辛いことを思い出し、忘れてしまいたいことを掘り出すことにもなりますが、逆に癒しでもあります。
私自身、今年、数年ぶりに父に会ったこともあり、エホバの証人漬けだった頃の父の気持ちがどんなだったのかと、考えるようになりました。書くことでそれをさらに煮詰めることができます。
父にも何かの考えがあって、家族もろともエホバの証人になったのでしょう。良かれと思ってのこと、家族のことを考えてのことでした。それは決定的に誤った決断であり、父は今では深く後悔しています。
私自身も父親になった立場で、自分の父のことを考えることで、彼にも彼なりの思いがあったのだろうと思います。それは決して邪悪なものでなく、暖かく清らかなモノ。手段は汚らしいモノだったが、心はそうではなかった。そう考えることが、私の癒しとなりました。
ただつらつらと書いていても仕方がないので、こういう形で発表しています。私自身、いまだに迷いが多く、考えを整理しながら書いている状態ですので、ご指摘など今回のような問い合わせは大歓迎です。
書き始めたきっかけは、私自身が何者かになりたいということでした。出版したいとか、ブログで不労所得を得たい、という打算的なものです。できればエホバの証人以外のことでやれれば良かったのですが、そうもいきませんでした。
エホバの証人2世だった過去のことなど、すべて忘れて楽しく生きていければ良いです。実際そういう生活をしようとして、毎日パチンコホールに入り浸り、毎晩飲み歩いていたこともあります。
しかし、それはエホバの証人的でない生き方を求めていただけでした。どうしてもエホバの証人精神といいますか、ものみの塔的思考が、私の心中に深く根付いてしまっているのです。気付けば、反ものみの塔を生き様とする逆洗脳状態に陥っていました。
この思考状態に囚われている間は、何かを書くのならやはりエホバの証人2世だった過去を抜きにはできないのです。心や私のバックボーンとする部分が幅広くエホバの証人に汚染されているのです。
長くなりましたので続きは次回に。
“元エホバの証人2世の方から初めてお問い合わせを頂きました①~ものみの塔に汚された過去を晒す理由” への1件の返信