エホバの証人、搾取の構造
エホバの証人の平日夜の集会、「週日の集会」と言われているのだが、週日ってなに?と思っていたのだが、週末に対して、週日という呼び方も、正しい日本語としてあるみたい。
というわけで、エホバの証人の「週日の集会」のテキストから。
レッスン55『会衆をサポートする』、ここが最近取り扱っている部分らしく。
自分の時間や体力、お金や持ち物を寄付しようみたいな、信者から搾取するためのプログラム。聖書内の記述と教団を強引に紐づけて、信者からあらゆるモノを奪い取ろうとしている。
自分のお金や持ち物を差し出すことによってエホバへの愛を表せるのは,うれしいことです
というエホバの証人的記述、言語用法は昔から変わらない。
「なになにすることができます」「なになにできるのは喜ばしいことです」
という気持ち悪い話法。
「なになにします」「なになにして下さい」ってハッキリ言えばいいのだが、あくまで信者の自発的意思という建前を保とうとしている。
エホバの証人の違うテキストや、教理の根幹には、ハルマゲドンでの滅びという重罰、対して楽園での永遠のイノチというご褒美がある。
その大ウソで信者を脅してすかして、時間や体力、お金や持ち物、最後には献身させて人生そのものを搾取している。
ダメ人間の作られ方、ものみの塔を人生の基準にすると・・・
同レッスン内の『兄弟たちはより多くの責任を担える』の部分。自己肯定感の低いエホバの証人が出てくる動画がある。こいつは自分が「できない、できない」と思い込んでいる。
できないと思っているのは、次のようなコト。
- 再訪問なし(非信者の勧誘第二段階)
- 注解(コメント、挙手して予定調和な回答をすること)できずに集会が終わる
- 奉仕報告(布教活動時間の報告がなかば義務化している)を忘れる
- 奉仕の僕(援助奉仕者)に任命されない
- 誰々はいつも、会衆の人のことを気にかけてる
基準が全部ものみの塔基準になっている。こんなもんできなくても立派な大人になれる。
しかし、この動画の彼は、教団内での承認欲求欲しさに敗北。簡単なところからやり始めてしまう。会衆の人のことを気にかけ、集会所のトイレ掃除を頑張り、暇を持て余した老人相手の再訪問と・・・。こいつはこれで自己肯定感を高めちゃった。
人生の悪循環。
この動画の主は、キッチリ運動をして体を鍛えていた。それだけで充分立派。この教団のトップの統治体でも、そんなことすらできてない奴がいる。
極端な話、毎日朝起きて会社に行くだけで、人間は充分に立派。たまに寝坊したって、ほとんど毎日遅刻していないんだったら、それはそれで良い。まず、現在の自分を認めないと、ものみの塔基準を持ち込まれてつけ込まれる。
そして、ものみの塔基準は低いので、簡単に自己肯定感が充たされる。すると麻薬みたいなもので、外界に出られなくなる。
はい、ダメ人間の完成。
ものみの塔基準の低さについては明日の記事にて。
“エホバの証人の搾取の構造、自己肯定感の罠とダメ人間製造の場” への1件の返信