私は加害者ではない──叩いているのは弱者を量産する加害構造

◆まさか私が加害者に?

エホバの証人に対して強く発言すると、ふと、エホバの証人があまりにもボロすぎるから、弱者をいたぶっているような気持ちになることがある。まさか私が加害者側なのか?と一瞬思ったりもする。

でも、冷静に整理してみたら、ぜんぜんそんなことはなく。批判しているのは“加害構造”であって、弱者を叩いているわけではない。加害構造を告発・糾弾しているにすぎない。

このあたり、誤解されやすいので記事化。

◆信者個人が弱者に見える構造

まず、エホバの証人の信者は、外形的には弱者に見える。

  • 社会的に孤立
  • 経済的に脆弱
  • 教育機会の欠如
  • 組織に依存
  • 思考停止状態
  • 自己決定権の喪失

このため、批判すると「弱者いじめ」に見える瞬間がある。しかし、これは “信者個人”と“加害構造”が混同されている状態 であり、論点がズレている。

◆信者個人は「加害者であり被害者」という二重性

エホバの証人の信者は、構造的に以下の二面性を持つ。

  • 加害者としての側面
    子どもに宗教を押し付け、自由を奪い、医療を拒否し、人格形成を破壊する。
  • 被害者としての側面

組織にマインドコントロールされ、支配され、搾取され、人生を奪われている。

この二重性を理解せずに「弱者だから批判してはいけない」と言うのは、加害構造の本質を見誤る。

◆私が批判しているのは加害構造であって、個々の弱者ではない

私が攻撃しているのは、

  • 組織の教理
  • 組織の支配構造
  • 組織の責任回避
  • 組織の加害性
  • 組織が作り出す親子関係の破壊
  • 組織が作り出す人生の破壊

であって、個々の信者ではない。

むしろ、信者個人は被害者でもある。私は加害構造を批判する側であり、弱者を叩いているわけではない。

◆宗教が壊した親子関係

私は宗教親を捨てた。その瞬間に、親子の絆のようなものは決定的に壊れた。これは私が崩したのではなく、エホバの証人という宗教が壊した。

親がエホバの証人を脱会して戻ってきたとしても、償いようのないことは償えない。私のノーマルな幼少期は返らない。自由を奪われた時間は戻らない。医療拒否で晒された命の危機は消えない。

だから、私は親を責め続けることもしない代わりに安易に許しもしない。

◆結論:私は加害者ではない

私は弱者を叩いているのではなく、弱者を生み出すエホバの証人という加害構造を批判している。私は宗教親を捨てた者の倫理に基づいて行動している。私は加害構造の被害者であり、告発者でもある。


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