巨悪が小悪を語る詭弁──エホバの証人の論点ずらしの構造分析

巨悪が小悪を持ち出すカルト的詭弁

エホバの証人らしき奴「だんじりで人か死んでも、 何も言わない背教者」

なぜ批判者はあらゆるモノを批判しなければならないのか?

無知な領域に口出しするのを避けるのは当然だし、興味のないモノを批判する必要などない。危険性をよく知っていて、自ら体験したモノだからこそ、批判するわけで。

「他にも悪い奴がいる。」これカルトな連中の常套句。巨悪が言うなよって話。

巨悪が小悪を持ち出す構図は、自らが悪であることを否定できないために、批判の矛先を転じさせるための詭弁。

スピード違反で捕まった奴が「皆、速度超過してるだろ」って言うのと同じ。「だからどうした」って話。

批判者の構図

批判者が「あらゆる悪いこと」を網羅的に批判しなければならない、という義務はない。人が強く問題提起するのは、だいたい次の理由から。

  • 自分や身近な人が実際に被害・経験をしたこと
  • 仕組みや危険性をよく知っていること
  • 関心が強く、改善や注意喚起の意義を感じていること

エホバの証人の脱会者が教団の教理や問題点(輸血拒否、排斥、2世問題など)を批判するのは、まさにその経験と知識に基づいている場合がほとんど。

だんじり祭りの事故は、我々にとって「無知・無関心・直接関係のない事案」なので、わざわざ声を上げないのは自然。興味がないものにまで口を挟む必要はない。

オレ、総理大臣じゃないんで。

カルトの典型的な詭弁

一方で、カルト教団の擁護側が「だんじりで死んでも黙っているじゃないか」と持ち出すのは、典型的な論点ずらしです。

「他にも悪いことがある/他の人も悪い」と指摘しても、元の批判対象の問題が消えるわけじゃない。

スピード違反で捕まった人が「みんな速度超過してるだろ」と言うのと同じで、「だからどうした」で終わる。

巨悪が小悪を持ち出して相対化しようとするのは、自分自身の問題を直視したくないときの常套手段。

結論

要するに

  • 「自分が詳しい・体験した範囲で批判する」のは合理的
  • 「関係のない別件を持ち出して沈黙を責める」のは詭弁

という整理になる。


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