PIMOという自己欺瞞──家族を理由に停滞する弱さ、自由は行動した者にしか訪れない。

Xにて「PIMOはすぐにやめるべきなのか?」論争

Xで「PIMOはすぐにやめるべきか」という話を見かけた。この辺は定期的に話題になるので、以下の記事などで何度か書いたが、根本的な考えは変わっておらず。

エホバの証人をやめるべきときは異なれど、やめる決意をするのは「今」

エホバの証人を「信じてないのに信じている」ふりをすることの罪

PIMOとは何か

PIMOとは Physically In, Mentally Out の略。 つまり、

  • 物理的には宗教活動に参加し

  • 組織に属しているように見えるが

  • 内心ではすでに信じていない

という状態の人を指す。

しかし、

物理空間で見れば、PIMOもガチ信者も区別がつかない。ソレってPIMOにしてみたら、スゲー屈辱じゃね?

だから、とっととやめるしかないって私は思うんだけど。

PIMOってるだけだと、周りもソレに追随せざるを得ず、結果的に周囲に悪影響を与えている。ホントは皆PIMOなのに誰もがカミングアウトしないから、揃いも揃って無駄な時を過ごしているってこともあり得る。

家族を理由に脱会できないという“弱さ”

家族を失いたくなくて脱会できないって気持ちは理解できる。

しかし、結局人間は一人で生まれて一人で死んでいく。だから、

家族ごときを人質に取られてカルトに堕ち続ける人外の道を歩み続けるのは、優しさではなく弱さに過ぎない。悪事に加担せざるを得ない言い訳に過ぎない。優しさとか情ではなく弱さ。

本来の優しさや情があれば、家族を救いたいと思うはず。

実は、既に家族は失われている

そもそも、

信仰を違えたくらいで家族を失うことになる可能性があるのなら、その時点で家族はもう失われているも同然。そんなのは家族ではない。家族がカルト堕ちした時点で、もうその家族は喪失してるんだよ。

神権家族とか、端から家族ではなかったってこと。

失ったモノを取り返しにいくか、最初からなかったモノを構築するのか、そのためにはカルトをやめることが大前提。

脱会の現実とタイミング

とはいえ、誰もが強くなれるわけではないし、一人で脱会するのなら、非情になりきらないといけない環境もある。

また、経済的な問題もあり、タイミングはある。だが、

脱会を決意するのは「今」しかなく、なりたい自分を描いて、そこに向けてつながる行動を僅かでも始めるのも、また「今」。

私も小学5年生頃に脱会の決意をして、実際の脱会には中学2年生までかかった。経済面の問題があり、心身の成長を待ちつつ、やはり、親を捨てる決意を実行に移すのは、躊躇した。

だけど、人生は有限だし、やめるのは早ければ早いほど良い。だから今スグやれることからやって、早々に脱会しようね。

行動のすすめ

「今スグやめろ」って言ってるんじゃない。やめるのは早ければ早いほど良いんだから、「今スグ行動しろ」と言っている。

ホントに小さな行動で良い。自由になった自分が何をしたいのか模索する。それを秘密のノートにメモする。こんなことからでいい。これだけでも立派な第一歩。

手遅れはないけれど、時間は有限だし、やりたいことから逆算すると人生には、時間が経てば不可逆的に選べなくなる選択肢が稀に存在するのも事実。

だから、

時間を無駄にしないためにも、明日は仮病を使ってでも集会を休み、未来を考える日にしませんか。これも「行動」です。

結論

PIMOでいることは、信者でいることと同じ。脱会を決意するのは「今」しかない。行動は小さくていい。だが、行動しない限り、あなたにも家族にも決して自由は訪れない。


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