詭弁の構造、現役エホバの証人カウンセラーの言葉のすり替え
昨日の記事の続き。現役エホバの証人によるオンラインカウンセリング「オリーブの葉」の問題構造を追求中。自称公認心理士の現役エホバの証人カウンセラーからのメール。以下の部分。
体罰については、社会的・法的にいかなる身体的懲らしめも児童虐待にあたることが共通認識です。実際に危険や虐待の可能性がある場合には、児童相談所などの公的窓口に相談・通報することが適切です。
一見知ったふうな専門家口調。しかし、
「体罰については…いかなる身体的懲らしめも児童虐待にあたる」から、なぜか
↓
「実際に危険や虐待の可能性がある場合には児童相談所へ通報することが適切」
という流れ。巧妙な手口。エホバの証人お得意の詭弁。すり替え。
「体罰の可能性」がある場合には「児童相談所へ通告」するのが、「適切」ではなく「義務」。
一見、マトモなことを言っているような、この現役エホバの証人公認心理士カウンセラーの文面だが、間違っていると言っても過言ではない。
「実際に危険や虐待の可能性がある場合」でなく、「体罰の可能性」がある場合、児童相談所などの公的窓口に通告することが「適切」なのではなく「義務」がある。
エホバの証人的感覚だと、「愛情をもって適度にお尻を叩くのが危険や虐待と言えるかどうか、それは各人の状況に応じて判断する必要があります」とかなんとか、ごまかして逃げようとする。見え透いている。
いかなる体罰も児童虐待なんだよ。
そもそも、なんで、自分で法律を変えちゃうのか?
児童相談所への通告義務が発生するのは「実際に危険や虐待の可能性がある場合」じゃない。児童虐待防止法第6条にあるとおり「児童虐待の疑いがある時点」で、児童相談所への通告義務が発生している。
そもそも、日本語が変というか、ごまかす気まんまんの詭弁。「実際に○○の可能性がある」ってどういう状態?「可能性」に「実際」も何もない。
エホバの証人カウンセラーの詭弁の図式
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実際「虐待の疑い → 通告義務」
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すり替え「実際に危険や虐待の可能性がある場合 → 通告“適切”」
体罰は宗教的には児童虐待ですか?
「体罰については、社会的・法的にいかなる身体的懲らしめも児童虐待にあたることが共通認識です」って、じゃあ、宗教的には?
「体罰はいかなる場合も児童虐待にあたる」という社会的・法的共通認識を明言しながら、同時にエホバの証人という宗教的立場を維持しているのであれば、そこには深刻な矛盾が生じている。
だって、エホバの証人の公式サイトには、今日の段階でも「体罰が必要でしょう」って書いてあるもんね。
この国では、なんでこんな児童虐待カルト「エホバの証人」が野放しにされているのか、意味不明。その信者に公認心理士が務まるはずがない。
現役エホバの証人カウンセリング「オリーブの葉」、公認心理士失格と言える行為は?で書いたとおり、信用失墜行為は公認心理師法に照らして行政処分の対象となり得る。
この現役エホバの証人カウンセラーはなんかグダグダ言って、「体罰ダメ絶対!」とは言わず、体罰の告白に対し児童相談所への通告も行っていない。
この現役エホバの証人カウンセラーは公認心理士を名乗っているのだが、何もわかってないのか、体罰推奨カルト宗教のエホバの証人だから、体罰をできる限り見逃そうとしているのか、いずれにしても公認心理士失格。


