輸血拒否・体罰・性虐待─「認識している」と言いながら、なぜエホバの証人を続けるのか?

なぜエホバの証人なのか?

現役エホバの証人カウンセラー「オリーブの葉」の問題構造を検証中。公認心理士を名乗る現役エホバの証人カウンセラーからの返信メールについて。

以下の部分。

輸血や体罰の問題、海外での報道についても、私共は認識しております。

と言っているが、実は何もわかっていない。認識なんかできてない。

エホバの証人が子どもに輸血拒否カードを携帯させることや体罰が児童虐待であること、海外でエホバの証人が行った児童性虐待の訴訟で敗訴し、統治体が賠償責任を負っていること。訴訟費用には信者の寄附が使われていること。

これを認識していて、なぜ、現役エホバの証人やってるんですかね?

なぜ矛盾なのか?

  • 宗教的教理と社会的規範の衝突

エホバの証人の教理や実践には、体罰や輸血拒否など、児童の身体的・生命的安全に関わる問題が含まれている。

  • 専門職としての中立性と倫理責任

公認心理師は、個人の信仰よりも支援対象者の人権と安全を優先する義務がある。もし信仰によって判断が歪められるなら、それは専門職としての中立性の喪失。

この公認心理士はエホバの証人の悪徳を「認識している」と言いながら行動が伴っていない 。「認識している」と言うだけでは不十分。認識に基づいて行動しなければ、倫理的責任を果たしたことにはならない。むしろ、認識しているのに放置しているなら、故意の責任回避とも受け取られかねない。

「体罰は虐待」と認識している +「宗教的背景に体罰推奨の文化がある」 +「その宗教に所属し続けている」 = 専門職としての倫理的整合性が問われる

あえて児童性虐待の加害構造に加担している?

海外での報道を認識している、というのも相当にひどい。認識している、と言えばいいと思っているのか?

認識しているなよ、なんでエホバの証人なの?

信者として活動したり寄付することが、組織を支えることになる。その組織で寄付の使途を方針を決定しているのは統治体。その統治体が児童性虐待裁判で敗訴し賠償責任を負っている。その訴訟費用や賠償金には信者の寄付が使われている。

エホバの証人であり続けることは児童性虐待の加害構造に加担することなのだが、公認心理士カウンセラーともあろう人間が、なぜその状態を良しとするのか?


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