考古学の粗探しをしてもBC607年は証明されない
エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。
エホバの証人が根拠にしているものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第1部』の後半部分。世間一般の考古学的な根拠を批判し、自説BC607年を信者に信じ込ませようとしている。
昨日の記事の続き。今日はプトレマイオスの王名表。
ものみの塔がプトレマイオスの王名表に難癖をつけている。この部分、独自には手が出ない。対抗策がない。
あるとすれば、どんなにプトレマイオスの王名表の粗探しをしようが、エホバの証人だけが主張しているBC607年エルサレム陥落が証明されるモノではないということ。
エホバの証人は聖書からBC607年をこじつけているんだけど、聖書と考古学では圧倒的に考古学のほうが信用できる。
エホバの証人は頭をこじらせているので、彼らのなかでは聖書と考古学の信頼性が逆転している。よって、先に聖書の信憑性を崩しておくのと、エホバの証人が聖書からBC607年をこじつけているのも間違っている、と示しておくのは必須。
聖書のダニエル書、アレクサンドロス大王に関する予言はハズレている
ゼカリヤ君が遠ざけるエホバの証人だけが固執するエルサレム陥落BC607年
ものみの塔のあくどい比較
プトレマイオスの王名表に対するものみの塔の難癖。これに徹底対抗する場合。今回は、jwstudyのこの記事からヘルプを得た。
まず、塔記事の中で、詳しい説明もなく載せている画像「新バビロニアの王たち」という囲み部分。
手元に実際の記事がないので、画像を載せられないのだが、4人の歴史家を並べている。ものみの塔が難癖をつけているプトレマイオスとベロッソス(ベロッソスは昨日の記事でもフォロー)。それとあと2人。
4人の歴史家たちが記述した新バビロニアの王の統治期間を表にして並べている。王の統治期間の数値はプトレマイオスとベロッソスは完全一致、あとの2人は一部異なる。
この状態で、ものみの塔は以下のように述べている。
下記の歴史家たちが信頼できるのであれば、その見解が一致していないのはなぜだろうか
おバカなエホバの証人たちはこれで騙されちゃうんだね。ホントに情弱ってのは哀れ。
プトレマイオスとベロッソスが完全一致してるんだから、それでいいじゃん。聖書なんかよりよほど信頼できるよ。
そして、jwstudyより。
この比較表に記載されていない多数の「バビロニア年代記」の碑文、あるいは粘土板の記録と比較すればプトレマイオスやベロッソスの年数が正しいということは一目瞭然
つまり、
ものみの塔は少数派の2人を引っ張ってきて、多数派の中から難癖をつけられそうな2人を抽出。多数派の2人を少数派の2人と並べて、見解が異なりまくっているように見せている。
あくどい手口だね。さすがものみの塔。
“プトレマイオスの王名表に難癖をつけるものみの塔、あくどい手口” への1件の返信