エホバの証人、不活発からの自然消滅より断絶がおススメの理由

エホバの証人、仮面不活発からの自然消滅が良くない理由3つ

昨日の記事の続き。エホバの証人現役信者、元信者が教団から取らされている選択と行動。

エホバの証人をやめるときに、できる限り穏便にやめようとする。信じているふりをしつつフェードアウト。仮面不活発信者。これが良くない理由3つ。

①時間を無駄にすること。
やれ記念式だ。大会だ。長老が家に来たとかで相手をしないといけない。完全に自由になるまで時間がかかりすぎる。

②エホバの証人をハッキリとやめられていないこと。
仮面不活発を続ける限り、信者だから。やめたいのにやめられていない。「エホバの証人、あれって激ヤバカルトです。被害を受けた私が言うので間違いないです」ってはっきり言えない。だってまだ、片足突っ込んでるんだから。時には擁護しちゃったり。いったいどっちの味方?

③周囲にインパクトを与えられないこと。
周囲とは現役信者。この人々は社会に害なす人々であり、かつ救われるべき人々。その現役信者の視線を恐れ仮面不活発を続けるということは、現役信者が絶賛人生を搾取されているのを援護射撃していることになる。

「あの人は不活発になって弱ってコソコソしている」その視点で見るのがエホバの証人。これがエホバの証人組織の狙い。現役信者の結束力・拘束力を高めさせる。やめたら、ああいう風に見られる、そう思うとやめたい気持ちが混じっていた現役信者もその正しい気持ちが揺らぐ。

エホバの証人(JW)2世が、家出せずに自由になる方法

誰もがエホバの証人のルールを守る必要がないという事実

続いて、エホバの証人をやめた後で忌避されるケース。自らやめる断絶なり、追い出されて排斥になったパターン。現役信者として残る家族、信者から忌避される。この場合、忌避されるがままになってはいけない。それこそエホバの証人組織の狙い通り。

勘違いしてはいけないのは、忌避される側はエホバの証人の忌避ルールを守る必要は一切ないということ。「私はもうエホバの証人でないので、エホバの証人のルールには縛られません」という態度をとるべき。

この態度に出られると、現役エホバの証人は唖然だろう。何しろ「組織の言うことは絶対!」で生きてきたわけだし、今もそうしている最中だから。

「エホバの証人のルールなんか関係ねぇ。今が自由で楽しくて仕方ない!!」そう振舞おう。忌避ルールなんか守る必要はないので、積極的に話しかければ良い。

「この間献血したら、お菓子貰えたよ!!」
「合コンしたら可愛い女の子が山ほど!!」
「将来のために貯金したり、資格の勉強したりしているよ!」
「別にお前らみたいなカルト信者と話したいわけではないのだけど、目ざめよ!読んでるのに目ざめてないから、可哀そうでこんな話してやってるんだよ!」と、あくまで上から目線で。楽しそうに。カッコよく自由に振る舞うこと。

エホバの証人のルールなど、誰も守る必要がないという至極当たり前の事実を、エホバの証人どもに知らしめる。その選択と行動の結果、エホバの証人のうち、一人でも救えれば、一人でも疑念を抱かさせることが出来れば。

コソコソ逃げ隠れしたり、苦しそうにしないこと。エホバの証人をやめて幸せで仕方がないと振舞う。その態度でいれば、本当の幸せもやってくる。

というわけで、まだ元気のある人や、カルトという悪の道から、他人を救う善の道へ一気に転向したい人は、自らエホバの証人を断絶することをお勧めします。

無理せず自然消滅が無難なのは百も承知なのだけど、何かを変えるのは行動であって、その行動とは能動的なものであり、早ければ早いほど良い。なぜなら、結果が早くでるから。時を無駄にしない。


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