日本のエホバの証人の代表者「織田正太郎」の事故死とは
2004年、日本のエホバの証人の代表役員である「織田正太郎」が事故死している。
当時のエホバの証人だと、この人の名前を知らない人はいないほどの有名人らしい。しかし、私は既にこのときエホバの証人でなかったので、織田某氏のことは知らない。
私は、1994年まで両親にエホバの証人であることを強制されていた。とはいえ、ド田舎のエホバの証人だったので、日本の中枢部の組織構造のことなど知るはずもなく。織田某氏のことは、まったく知らない。
教団内の用語では、海老名ベテルの調整者と呼ばれるポジション。何を調整するのかは知らないが、ものみの塔の日本支部の本部である海老名ベテルで、頂点に君臨していた人物。
どうやって亡くなったのかというと、桜の写真を撮ろうとして塔に昇ったところ、落下して死亡。事故死とされている。
塔から落ちて亡くなったらしいが、さすが日本のものみの「塔」協会のトップ。「塔」がお好きなようで。
事故死とされているが、宗教団体の密室「海老名ベテル」内でのできごと。抜群の怖さがある。国内20万人のエホバの証人からの利権を吸い上げるトップのポジション。そりゃ命の危険は付きまといますわな。
一応は事故死ということになっているが、不可解な点が多い。
- 桜の写真を撮るために持っていたカメラが壊れていない
- いつもいるお付きの人たちが誰もおらず、発見が遅れた
- 白髪の老人が一人でハシゴをかけて「塔」に昇るという不自然
いずれにせよ、
日本国内でいちばん神エホバの愛・是認を受けていた人物の最期とは、とても言えない不運な死に方。
織田正太郎の事故死が示す、エホバの証人組織の闇
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