ものみの塔の超一流のギャグ
昨日の記事で、全てのエホバの証人をマインドコントロールから目ざめさせるべきだと書いた。その理由①として、マインドコントロールされたままエホバの証人を放置するのは愛の欠如であるという理由を上げた。
ものみの塔というおふざけ集団に付き合って、人生を無駄にする肉親を見放す。それは当のエホバの証人もびっくりの愛の欠如。
ものみの塔は、一流の冗談で多くの人々をたぶらかしている。「永遠の命」とか「楽園」、「復活」というギャグで人々を欺き、一方で早くマインドコントロールから「目ざめよ!」と、機関紙の題名でも盛大に笑わせようとしている。
そんなアメリカンジョークを真に受けて、人生の全てを失おうとしているエホバの証人の肉親を放っておくなんて、まさに愛の欠如したエホバの証人のような振る舞い。
人生の苦みこそが、人間の本質
そんな冗談を真に受ける馬鹿野郎に絡むのが面倒くさいって言うのなら、ごもっとも。鬱陶しいマインドコントロール野郎に絡む余裕がないって言うのも、頷ける。まずはご自身の精神の安寧が第一。そうではなくて、
「ものみの塔の冗談に付き合って、”目ざめず”に死んでいってくれた方が彼らの幸せのため。苦しまずに済むから」っていうのは違う。人生の表面、表層しか見ていないエホバの証人的発想。
人生なんて苦悩の連続。今どき「毎日充実、楽しいことだらけで悩みなんて一つもありません」っていう方がどうかしている。そこから逃げ出してエホバの証人という冗談に現実逃避したのだ。その責任は生きている間に取るべし。
これが理由その②。
マインドコントロール野郎を苦しみから逃がすなということ。死の際まで苦しむのが人間の本来の姿。それが人間らしさ。「復活できるから~♪」なんてのん気に死んで、完全なる無に帰するというのは、あまりにも人生全てが無意味過ぎる。
死後にも意味を残さず、生前の人生もものみの塔という冗談に全捧げというのは恐ろしく無意味。世界にエホバの証人という災いだけを撒き散らした人生。無意味以上に害悪。
であれば、いかなる苦難があろうともものみの塔のマインドコントロールから解放され、本来の苦い苦い人生を味わい苦しむべき。
ものみの塔という冗談に命をかけて人生を終えるくらいなら、本来の人生が苦すぎて辛くて死にたいとなる方が断然マシ。もうそのまま死んだって良い。ものみの塔という冗談に命をかける一生はどうせ無意味なのだし、悪事にそれ以上加担せずに済むのだから。
結局、人生は苦みがあるから対照として良好な部分が輝く。死ぬ気になれば人間どうとでもなる。大丈夫。ものみの塔という冗談に命を捧げるより、最悪な事態はそうそう起こらない。
“エホバの証人よ、苦みを味わって本来の人生を生きろ” への1件の返信